上賀茂神社葵使(日程・時間・・・)

上賀茂神社葵使

上賀茂神社葵使

上賀茂神社葵使(日程・時間・・・)を紹介しています。葵使は例年3月頃に行われています。葵使は2007年(平成19年)に140年振りに復活した行事です。葵使は1610年(慶長15年)に徳川家康の命により、二葉葵を上賀茂神社から駿府城の家康に献上したのが始まりです。上賀茂神社の神紋は二葉葵、徳川将軍家の家紋は三つ葉葵です。(詳細下記参照)

【上賀茂神社葵使2016 日程時間(要確認)】
上賀茂神社葵使2016は2016年3月27日(日曜日)に行われます。

【上賀茂神社葵使 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区上賀茂岡本町
最寄り駅・バス停・・・上賀茂神社前(徒歩約15分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは4系統(A2乗り場)
*四条河原町からは4系統、46系統
*四条烏丸からは46系統
*河原町丸太町からは4系統
路線・時刻表・運賃チェック

*地下鉄烏丸線の場合、最寄り駅は北山駅(徒歩約15分)

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【上賀茂神社葵使 歴史・簡単概要】
上賀茂神社葵使(あおいつかい)は2007年(平成19年)に140年振りに復活した行事です。葵使は1610年(慶長15年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康の命により、葵祭の名称の由来となった二葉葵(ふたばあおい)を上賀茂神社から静岡・駿府城の家康に献上したのが始まりです。葵使は1610年(慶長15年)から1867年(慶応3年)の大政奉還までは毎年二葉葵を徳川将軍家に献上していたが、大政奉還後は途絶えました。ちなみに葵使はかつて旧暦3月13日頃に二葉葵を奉書紙に包んで唐櫃(からびつ)に入れて上賀茂神社を出発し、4月1日に献上していたそうです。なお上賀茂神社の神紋は二葉葵、徳川将軍家の家紋は三つ葉葵です。
葵祭は1467年(応仁元年)からの応仁の乱(~1477年(文明9年))以降は約200年間途絶えたが、1694年(元禄7年)京都西陣に生まれ、江戸幕府3代将軍・徳川家光の側室になった桂昌院(けいしょういん・お玉)の実子で、5代将軍・徳川綱吉が尽力し、約200年振りに再興されました。なお葵祭は上賀茂神社と下鴨神社の祭礼です。
●上賀茂神社の歴史(創建から現在)を紹介しています。
上賀茂神社歴史(賀茂別雷命・・・)
●上賀茂神社の見どころ(本殿・細殿立砂など)を紹介しています。
上賀茂神社見どころ(本殿・細殿立砂など)

【上賀茂神社 歴史・簡単概要】
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は起源が明確ではありません。上賀茂神社は社伝によると神代の昔に賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が現社殿の北北西にある秀峰・神山(こうやま)に降臨したのが起源とも言われています。その後677年(天武天皇6年)に賀茂神宮が造営されたとも言われています。794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都以降は皇城鎮護の神・山城国一之宮として、桓武天皇を初めとする歴代天皇が行幸・奉幣祈願されたと言われています。807年(大同2年)に最高位である神階・正一位を賜って、葵祭(賀茂祭)が勅祭になり、810年(大同5年)には賀茂斎院が置かれ、第52代・嵯峨天皇の皇女・有智子内親王(うちこないしんのう)が初代斎王として仕え、以降歴代斎王が葵祭に奉仕しました。上賀茂神社は明治時代から戦後まで伊勢神宮に次ぐ、官幣大社の筆頭とされました。
上賀茂神社は下鴨神社(賀茂御祖神社)とともに古代氏族・賀茂氏の氏神を祀る神社です。
*参考・・・上賀茂神社(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ

【上賀茂神社葵使 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
葵祭2025日程(時代行列・流鏑馬神事・・・)

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