知恩院ハス見ごろ2024(7月上旬~7月下旬頃)
知恩院ハス見ごろ(見頃)
知恩院ハス見ごろ(時期・イベント・・・)を紹介しています。知恩院では北側の経蔵(重要文化財)と南側の大鐘楼(重要文化財)の間で、納骨堂前にある池にハスが植えられ、ピンク・ピンクの入った白い花を咲かせます。ハスは池・池に架けられた石橋などの光景が美しいと言われています。池周辺では青もみじ・サルスベリなども美しいと言われています。(詳細下記参照)
【知恩院ハス見ごろ(例年時期)】
知恩院のハス見ごろは例年7月上旬頃から7月下旬頃です。なおハスの見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都ハス名所・見ごろ
【知恩院ハス見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区林下町400 知恩院内
最寄り駅・バス停・・・知恩院前(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは206系統(D2乗り場)
*四条河原町からは12系統、46系統、201系統、203号系統
*四条烏丸からは46系統、201系統、203号系統
*河原町丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック
*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は祇園四条駅(徒歩約10分)
*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は京都河原町駅(徒歩約15分)
*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は東山駅(徒歩約10分)
【知恩院ハス見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
知恩院はあまり知られていないハス(蓮)の名所です。知恩院のハス見ごろは例年7月上旬頃から7月下旬頃です。
知恩院では北側の経蔵(重要文化財)と南側の大鐘楼(重要文化財)の間で、納骨堂前にある池にハスが植えられ、ピンク・ピンクの入った白い花を咲かせます。ハスは池・池に架けられた石橋などの光景が美しいと言われています。池周辺では青もみじ・サルスベリなども美しいと言われています。なおハスの花は早朝に咲き、昼頃には閉じます。なお放生池には睡蓮(スイレン)も咲いています。
納骨堂は1930年(昭和5年)に建立されました。納骨堂には堂内に阿弥陀三尊(あみださんぞん)像・二十五菩薩が安置され、地下にご遺骨が奉安されています。
経蔵は1621年(元和7年)に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の寄進によって建立されました。経蔵は桁行三間・梁間三間で、宝形造の本瓦葺です。一重もこし(裳階)付き。経蔵は八角輪蔵の中央に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠が寄進した宋(中国)版一切経5,900帖が納められています。
大鐘楼は1678年(延宝6年)に建立されました。大鐘楼は桁行三間・梁間三間で、入母屋造の本瓦葺です。大鐘楼は1636年(寛永13年)に鋳造された日本有数の大鐘である梵鐘(重要文化財)を釣っています。
ハス(蓮)はインド原産のハス科の多年性水生植物です。ハスは古くに中国から渡来し、食用のレンコン(蓮根)や観賞用のハナハス(花ハス)として、日本各地の池・沼・水田などで栽培されるようになりました。ハスは花托(かたく)の形状が蜂の巣に似ていることから古くは「はちす」と言われていました。ハスの花は蓮華(れんげ)と言われ、その名称は仏教とともに中国から伝来したとも言われています。如来像の台座には蓮華をかたどった蓮華座になっています。ハスは泥水の中から清浄な美しい花を咲かせることから仏の知恵や慈悲の象徴とされています。またハスは泥より出でて、泥に染まらずと称され、清らかさや聖性の象徴ともされています。ちなみに極楽浄土の池には「阿弥陀経(あみだきょう)」によると青・黄・赤・白色の車輪のような大きなハスの花が咲いていると言われているそうです。ハスは夏に水上に花茎を伸ばし、紅・淡紅・ピンク色・白色などの花を咲かせます。ハスの花は径10~25センチ、花弁が20数枚で、芳香があります。なおハスの花は早朝に咲き、昼頃には閉じます。
●知恩院の歴史(創建から現在)を紹介しています。
知恩院歴史(法然上人・徳川家康)
●知恩院の見どころ(御影堂・三門など)を紹介しています。
知恩院見どころ(御影堂・三門など)
【知恩院 歴史・簡単概要】
知恩院(ちおんいん)は平安時代後期の1175年(承安5年)に浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)が東山・吉水(よしみず)に草庵を結び、専修念仏(せんじゅねんぶつ)を布教したのが起源です。知恩院は当初吉水御坊(よしみずごぼう)・大谷禅坊(おおたにぜんぼう)などと称されていました。その後鎌倉時代の1227年(嘉禄3年)に比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の衆徒によって破壊されたが、1234年(文暦元年)に法然上人の弟子・勢観房源智(せいかんぼうげんち)が再興し、第87代・四条天皇(しじょうてんのう)から寺号「華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざんちおんきょういんおおたにでら)」を賜りました。しかしその後の火災や応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火などによって焼失しました。江戸時代初期の1608年(慶長13年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が伽藍を建立し、2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)と3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が引き継ぎました。なお法然上人は唐の高僧・善導(ぜんどう)の著作「観経疏(かんぎょうしょ・観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ))」を読み、六字名号「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と一心に声高くた称えることにより、人々が極楽往生できるという専修念仏の思想に開眼しました。
知恩院は浄土宗の総本山です。
*参考・・・京都・知恩院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【知恩院ハス見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
京都・知恩院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報