京都初詣2026・午年スポット(藤森神社・・・)
京都午年の初詣スポット
京都午年(うまどし)の初詣スポットを紹介しています。藤森神社は境内に神馬像が建立されています。藤森神社では例年例年5月1日から5日に藤森祭(深草祭)が行われ、5月5日に約180メートルの参道馬場で馬に乗った乗子がアクロバット的な技を披露する駈馬神事(かけうましんじ)が行われています。(要確認)
【京都午年の初詣スポット 十二支】
十二支(じゅうにし)は子(ね・鼠(ねずみ))・丑(うし・牛)・寅(とら・虎)・卯(う・兎(うさぎ))・辰(たつ・龍(りゅう))・巳(み・蛇(へび))・午(うま・馬)・未(ひつじ・羊)・申(さる・猿)・酉(とり・鶏(にわとり))・戌(いぬ・犬)・亥(い・猪(いのしし))からなります。十二支は中国の殷(いん)時代(紀元前17世紀頃~紀元前1046年)に甲骨文字(こうこつもじ)を記す際に十干(じっかん)と組み合わされて日付の記録に利用されていました。中国の戦国時代(紀元前403年~紀元前221年)以降に日(日付)だけでなく、年・月・時刻・方位の記述にも利用されるようになりました。中国ではインドの木星紀年法を取り入れ、動物を当てはめたと言われています。日本では古代に中国から伝わり、5世紀の古墳の出土品に「辛亥年七月中。」などという干支が刻まれています。
【京都午年の初詣スポット 言社(下鴨神社の末社)】
何年でも、何年生まれでもご利益があるとも言われています。
●下鴨神社(しもがもじんじゃ)の末社・言社(ことしゃ)は十二支の守護神です。言社の祭神・大国主命(おおくにぬしのみこと)は7つの名前と7つの働きを持ち、その名前ごとに7つの社が祀られています。巳(み)・未(ひつじ)の守護神は一言社(東社)、午(うま)の守護神は一言社(西社)、子(ね)の守護神は二言社(北社)、丑(うし)・亥(い)の守護神は二言社(南社)、卯(う)・酉(とり)の守護神は三言社(北社)、寅(とら)・戌(いぬ)の守護神は三言社(中社)、辰(たつ)・申(さる)の守護神は三言社(南社)です。
言社(ことしゃ)・大国さまは起源が明確ではありません。言社は日本最古の歴史書「古事記(こじき)」の因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)に登場する大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀っています。
言社・十二支の守護神
【京都午年の初詣スポット 藤森神社】
●藤森神社(ふじのもりじんじゃ)は境内に神馬像が建立されています。藤森神社では例年例年5月1日から5日に藤森祭(深草祭)が行われ、5月5日に約180メートルの参道馬場で馬に乗った乗子がアクロバット的な技を披露する駈馬神事(かけうましんじ)が行われています。(要確認)
藤森神社(ふじのもりじんじゃ)は起源が明確ではありません。藤森神社は社伝によると203年(神功皇后摂政3年)に第14代・仲哀天皇の皇后だった神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓征伐(さんかんせいばつ)から凱旋した際、山城国深草の里の藤森に纛旗(とうき)を立て、兵具を納めて塚を造ったのが起源とも言われています。794年(延暦13年)に第50代・桓武天皇から弓兵政所(ゆずえまんどころ)の称が授けられ、遷都奉幣(ほうへい)の儀式が行われたとも言われています。その後816年(弘仁7年)に伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)の社殿が標高約233メートルの稲荷山(いなりやま)から山麓の現在の場所に建立されたことから現在の場所に移ったとも言われています。藤森神社は中央(中座)に素盞鳴命・別雷命・日本武尊・応神天皇・仁徳天皇・神功皇后・武内宿禰を祀っています。東殿(東座)は奈良時代の759年(天平宝字3年)に崇道尽敬皇帝(舎人親王)を祀る神社として藤尾の地に創建されたが、1438年(永享10年)に合祀されました。西殿(西座)は平安時代の800年(延暦19年)に早良親王を祀る神社として塚本の地に創建されたが、1470年(文明2年)に合祀されました。
藤森神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)
【京都午年の初詣スポット 上賀茂神社】
●上賀茂神社(かみがもじんじゃ)では境内に神馬(白馬)・神山号が飼育されています。上賀茂神社では例年1月7日に白馬奏覧神事(はくばそうらんしんじ)が行われたり、例年5月に葵祭の前儀である賀茂競馬足汰式(かもくらべうまあしそろえしき)・賀茂競馬(かもくらべうま)や例年10月に笠懸神事(かさがけしんじ)が行われたりしています。なお埒が明かないは上賀茂神社に由来しています。埒(らち)は馬場の周囲に巡らした柵です。
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は起源が明確ではありません。上賀茂神社は社伝によると神代の昔に賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が現社殿の北北西にある秀峰・神山(こうやま)に降臨したのが起源とも言われています。その後677年(天武天皇6年)に賀茂神宮が造営されたとも言われています。794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都以降は皇城鎮護の神・山城国一之宮として、桓武天皇を初めとする歴代天皇が行幸・奉幣祈願されたと言われています。807年(大同2年)に最高位である神階・正一位を賜って、葵祭(賀茂祭)が勅祭になり、810年(大同5年)には賀茂斎院が置かれ、第52代・嵯峨天皇の皇女・有智子内親王(うちこないしんのう)が初代斎王として仕え、以降歴代斎王が葵祭に奉仕しました。上賀茂神社は明治時代から戦後まで伊勢神宮に次ぐ、官幣大社の筆頭とされました。
上賀茂神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)
【京都午年の初詣スポット 貴船神社】
●貴船神社(きふねじんじゃ)には境内には黒馬と白馬の神馬像が建立されています。貴船神社は歴代天皇が古来から雨を祈願する時には黒馬、雨止め(晴れ)を祈願する時には白馬を奉納していたと言われています。その後生き馬の代わりに木の板に描いた馬が奉納されるようになり、絵馬の起源になったとも言われています。
貴船神社(きふねじんじゃ)は起源が明確ではありません。貴船神社は社伝によると初代・神武天皇の母である玉依姫命(たまよりひめのみこと)が黄色い船に乗って淀川・鴨川・貴船川を遡り、水神を祀ったのが起源と言われています。また貴船神社は第18代・反正天皇の時代の造営されたとも言われています。貴船神社は666年(白鳳6年)に社殿造替の記録があり、それ以前から祀られていたとも言われています。その後1046年(永承元年)7月の出水によって社殿が流失し、1055年(天喜3年)に現在の本宮の場所に社殿が再建され、かつての場所は奥宮になりました。なお貴船神社の名称は「黄船(黄色い船)」に由来し、古くは「気生根(きふね)」とも表記され、気力の生ずる根源の地と言われました。貴船神社がある地域名は「きぶね」と濁るが、貴船神社は水の神様であることから濁らずに「きふね」と言うそうです。
貴船神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)
【京都午年の初詣スポット 備考】
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