永観堂の紅葉見ごろ2024(時期:11月中旬~11月下旬頃)
永観堂の紅葉見ごろ・アクセス・概要
永観堂の紅葉見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。永観堂の紅葉見ごろは例年11月中旬頃から11月下旬頃です。永観堂は東山山腹の傾斜地に位置し、面積約1万坪とも言われる境内の内、放生池畔などにヤマモミジなど約3,000本のモミジが分布しています。紅葉見ごろにライトアップを行っています。(要確認)(詳細下記参照)
【永観堂の紅葉見ごろ(例年時期)・2024年予測】
永観堂の紅葉見ごろは例年11月中旬頃から11月下旬頃です。ただ紅葉の時期や見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2024年10月31日、ウェザーニュースは京都の紅葉見ごろが平年よりやや遅いと予想しました。嵐山は11月23日頃からです。
京都紅葉見ごろ2024
【永観堂紅葉 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区永観堂町48
最寄り駅・バス停・・・南禅寺・永観堂道(徒歩約3分)、東天王町(徒歩約8分)、宮ノ前町(徒歩約8分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から永観堂は5系統(A1乗り場)
*四条河原町からは5系統
路線・時刻表・運賃チェック
*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は蹴上駅(徒歩約15分)
【永観堂の紅葉見ごろ(例年時期) 概要】
永観堂は京都を代表する紅葉の名所です。永観堂は勅撰和歌集「古今和歌集(こきんわかしゅう)・平安時代前期成立」に「おく山の 岩がき紅葉 散りぬべし 照る日の光 見る時なくて」と詠まれて以来、千百有余年もの昔から「秋はもみじの永観堂」とも言われています。永観堂の紅葉見ごろは例年11月中旬頃から11月下旬頃です。ちなみに標高は約71メートルです。
永観堂は東山山腹の傾斜地に位置し、面積約1万坪とも言われる広大な境内の内、池泉回遊式庭園の中心となる放生池(ほうじょうち・弁天池(べんてんいけ))畔などにヤマモミジ・イロハモミジ・オオモミジなど約3,000本のモミジやイチョウが分布し、境内東側で御影堂裏の急傾斜の岩壁に岩垣もみじが分布しています。永観堂では秋に錦の織物のように美しい錦秋が訪れ、放生池周辺や多宝塔はフォトジェニックなスポットになります。紅葉に彩られた放生池には極楽橋(ごくらくばし)が架けられ、その中の島・弁天島に祀られている弁天社へも錦雲橋(きんうんばし)が架けられ、紅葉と極楽橋・錦雲橋などの光景が素晴らしいと言われています。晴れた風のない日には放生池の水鏡に燃えるような紅葉が映し出されます。また太陽の光によって美しく照り輝く照紅葉も楽しめます。放生池はインスタ映えスポットになっています。池泉回遊式庭園には紅葉名所に相応しい楓橋(かえでばし)・寿橋(ことぶきばし)も架けられ、散策しながら庭紅葉を楽しむことができます。放生池近くでは茶屋も営業し、茶団子・みたらし団子・ぜんざい・抹茶・甘酒などを楽しみながら紅葉狩りを楽しむことができます。(要確認)多宝塔は紅葉に彩られた池泉回遊式庭園から紅葉越しに眺めることができます。また140段の石段を登っていくと多宝塔に辿り着き、多宝塔からは紅葉に包まれた境内や京都市街地の眺望を楽しむこともできます。多宝塔は紅葉インスタ映えスポットになっています。
永観堂は古くから文人墨客に愛された紅葉名所で、1900年(明治33年)11月5日には鳳晶子(ほうあきこ・与謝野晶子(よさのあきこ))が後に夫となる与謝野鉄幹(よさのてっかん)と恋のライバルである山川登美子(やまかわとみこ)とともに紅葉狩りを楽しんだと言われ、放生池近くには歌碑「秋を三人 椎の実なげし 鯉やいづこ 池の朝かぜ 手と手つめたき」が建てられています。
永観堂では紅葉見ごろにライトアップを行っています。(要確認)紅葉ライトアップでは昼間と異なり、幻想的・神秘的な光景を楽しむことができます。ランチを済ませ、夜間に紅葉狩りを楽しむのもいいかもしれません。ライトアップ期間は比較的長く、11月下旬を中心に約1ヶ月間行われます。
永観堂紅葉ライトアップ
永観堂は京都を代表する紅葉名所の為、紅葉シーズンに多くの観光客が訪れ、大変混雑します。紅葉シーズンに混雑を避けて紅葉狩りを楽しむなら午前中がおすすめです。なお紅葉シーズンは京都市内を走るバスが非常に混雑することが多く、永観堂アクセスでは地下鉄東西線の利用も選択肢のひとつです。
- 岩垣もみじはカエデ科のタカオカエデ(高雄楓・タカオモミジ(高雄紅葉))のことです。タカオカエデはイロハモミジ(伊呂波紅葉)・イロハカエデ、そして単にモミジとも言われたりします。イロハモミジは葉が手のひらのように5~7裂し、裂片を「いろはにほへと」と数えたことに由来しています。岩垣もみじの名称は平安時代(794年~1185年)前期の勅撰和歌集「古今和歌集」にこの地で隠居中の藤原関雄が詠んだ和歌「奥山の 岩垣紅葉 散りぬべし 照る日の光 見る時なくて」に由来しています。和歌は「山の奥深く、切り立った岩に囲まれたモミジは太陽の光を見ることもないままきっと散るだろう」という内容だそうです。藤原関雄は別荘・東山山荘にあって林泉を耽愛し、東山進士とも言われたそうです。また永観堂中興の祖で、7世住持・永観律師は和歌「紅葉葉の 時雨るる山は 神無月 峰の嵐も 色まさりけり」と詠んだそうです。
- 池泉回遊式庭園は放生池を中心に東山を借景にしています。放生池は捕らえた魚などを殺さずに放す放生会を行う為の池です。池泉回遊式庭園は永観堂一の紅葉スポットで、紅葉インスタ映えスポットです。
- 多宝塔は標高約183メートルの若王子山(にゃくおうじやま)に建立されています。多宝塔は上部が円形、下部が方形の二重塔で、屋根に九輪と水煙が付けられています。多宝塔は1928年(昭和3年)に篤志家の寄付によって建立されました。多宝塔は紅葉インスタ映えスポットです。
- 御影堂(祖師堂・大殿)は1912年(大正元年)に建立れました。御影堂は本尊・阿弥陀如来立像を安置している阿弥陀堂よりも大きく、「仏説無量寿経」に説かれている阿弥陀四十八本願に因んで、48本の丸柱が使われています。御影堂は総欅造です。御影堂からは紅葉スポットである多宝塔に行くことができます。
【永観堂 歴史・簡単概要】
永観堂・禅林寺は平安時代の歌人で、貴族であった藤原関雄の別荘・東山山荘があった場所です。永観堂は853年(仁寿3年)に真言宗の宗祖である弘法大師・空海の高弟である河内観心寺・真紹僧都が京都における真言宗密教の実践道場の創建を志し、藤原関雄から寄進されとも、買い取ったとも言われる東山山荘に五智如来を安置したのが起源と言われています。その後863年(貞観5年)に第56代・清和天皇から鎮護国家の道場・定額寺として勅額を賜わり、禅林寺と名付けられました。承暦年間(1077年~1080年)に中興の祖で、7世住持・永観律師が東南院を興して浄土念仏道場に改め、阿弥陀如来を本尊にしました。永観律師は境内に施療院・薬王院を建て、病人救済などの慈善事業も行いました。永観堂の名称は永観律師に由来しています。鎌倉時代初期に12世住持・静遍僧都が浄土宗の宗祖・法然上人に帰依して浄土宗に改めました。
*参考・・・永観堂(アクセス・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【永観堂紅葉 備考】
京都紅葉名所・永観堂(アクセス・見どころ・・・)情報
★京都の紅葉名所では紅葉の見ごろに合わせ、ライトアップを行なっているところがあります。(下記リンク参照)
京都紅葉ライトアップ2024