東本願寺ハス見ごろ2024(7月上旬~7月下旬頃)

東本願寺ハス

東本願寺ハス見ごろ(見頃)

東本願寺ハス見ごろ(時期・イベント・・・)を紹介しています。東本願寺では境内南側の堀に淀姫などのハスが植えられ、ピンク色や白い色などの花を咲かせます。淀姫は江戸時代前期に築城された淀城に自生していた固有種です。なお境内北東側の堀には睡蓮も植えられています。(詳細下記参照)

【東本願寺ハス見ごろ(例年時期)】
東本願寺のハス見ごろは例年7月上旬頃から7月下旬頃です。なおハスの見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都ハス名所・見ごろ

【東本願寺ハス見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町754番地
最寄り駅・バス停・・・烏丸七条(徒歩すぐ)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から東本願寺は5系統(A1乗り場)、26系統(D3乗り場)、205系統(B3乗り場)、206系統(D2乗り場)、208系統 (C1乗り場)
*四条河原町からは5系統
*四条烏丸からは5系統
路線・時刻表・運賃チェック

*JR西日本の場合、最寄り駅は京都駅(徒歩約7分)
*地下鉄烏丸線の場合、最寄り駅は五条駅(徒歩約5分)

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【東本願寺ハス見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
東本願寺はハス(蓮)の名所です。東本願寺のハス見ごろは例年7月上旬頃から7月下旬頃です。
東本願寺では境内南側の堀に淀姫(よどひめ)などのハスが植えられ、ピンク色や白い色などの花を咲かせます。淀姫は江戸時代前期に築城された淀城に自生していた固有種です。ハスの花は早朝に咲き、昼頃には閉じます。なお境内北東側の堀には睡蓮(スイレン)も植えられています。
東本願寺は江戸時代に4度も火災に見舞われ、その火災の多さから「火出し本願寺」と揶揄されました。ただ東本願寺が火元になったのは江戸時代後期の1823年(文政6年)のみです。その後明治時代に防火用水で整備され、1950年(昭和25年)に発生した京都駅の火災では消防ホースを使って防火用水が利用された記録が残されているそうです。
淀城は京都府京都市伏見区淀本町(山城国久世郡淀)に築城されました。淀城は「徳川実紀」によると江戸時代前期の1623年(元和9年)に山城淀藩藩主・松平定綱が江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の命により、河村右衛門の屋敷跡に築城を開始し、1625年(寛永2年)にほぼ完成しました。1756年(宝暦6年)の落雷によって天守など多くの建物を焼失し、1871年(明治4年)に廃城になりました。なお安土桃山時代に関白・豊臣秀吉が側室・淀殿(浅井茶々)の産所として築城した淀城は現在の場所よりも北側約500メートルの位置に築城されていたが、城主・木村重茲が秀吉の甥で、養子であった関白・豊臣秀次に連座して廃城になりました。
ハス(蓮)はインド原産のハス科の多年性水生植物です。ハスは古くに中国から渡来し、食用のレンコン(蓮根)や観賞用のハナハス(花ハス)として、日本各地の池・沼・水田などで栽培されるようになりました。ハスは花托(かたく)の形状が蜂の巣に似ていることから古くは「はちす」と言われていました。ハスの花は蓮華(れんげ)と言われ、その名称は仏教とともに中国から伝来したとも言われています。如来像の台座には蓮華をかたどった蓮華座になっています。ハスは泥水の中から清浄な美しい花を咲かせることから仏の知恵や慈悲の象徴とされています。またハスは泥より出でて、泥に染まらずと称され、清らかさや聖性の象徴ともされています。ちなみに極楽浄土の池には「阿弥陀経(あみだきょう)」によると青・黄・赤・白色の車輪のような大きなハスの花が咲いていると言われているそうです。ハスは夏に水上に花茎を伸ばし、紅・淡紅・ピンク色・白色などの花を咲かせます。ハスの花は径10~25センチ、花弁が20数枚で、芳香があります。なおハスの花は早朝に咲き、昼頃には閉じます。
東本願寺見どころ

【東本願寺 歴史・簡単概要】
東本願寺(ひがしほんがんじ)・真宗本廟(しんしゅうほんびょう)は江戸時代初期の1602年(慶長7年)に本願寺第11世宗主・顕如(けんにょ)の長男で、東本願寺第12代法主・教如(きょうにょ)が江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)から寺地を寄進され、本願寺(西本願寺)の東に創建しました。その結果本願寺は東西に分立することになりました。教如は桃山時代の1592年(天正20年)に父・顕如が亡くなる本願寺を継承したが、石山合戦(いしやまかっせん)で篭城した強硬派を側近に置き、顕如とともに鷺森に退去した穏健派と対立し、関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の怒りを買って退隠させられました。その後度々火災に見舞われ、「火出し本願寺」と揶揄されました。東本願寺は1864年(元治元年)の禁門の変(元治の大火)のどんどん焼け後に再建されました。なお西本願寺(にしほんがんじ)は1272年(文永9年)に浄土真宗の開祖・親鸞聖人(しんらんしょうにん)の末娘・覚信尼(かくしんに)が東山鳥辺野北大谷(元大谷)の石塔に納められていた遺骨を改葬し、東山吉水北に六角の廟堂を建立したのが起源と言われています。
東本願寺は真宗大谷派の本山です。
*参考・・・京都・東本願寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【東本願寺ハス見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
東本願寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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