東本願寺お煤払い2024年12月20日(日程時間・・・)
東本願寺お煤払い
東本願寺お煤払い(日程・時間・・・)を紹介しています。お煤払いは例年12月20日に行われています。お煤払いは全国から集まった信徒や本山の職員などによって行われます。お煤払いでは信者などが横一列になり、割り竹で御影堂の畳を叩き、約2メートルの大うちわで埃(ほこり)を外に出します。その後雑巾で畳など拭きます。(詳細下記参照)
【東本願寺お煤払い2024 日程時間(要確認)】
東本願寺お煤払い2024は2024年(令和6年)12月20日(金曜日)9:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・東本願寺ホームページ
【東本願寺お煤払い アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町754番地
最寄り駅・バス停・・・烏丸七条(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から東本願寺は5系統(A1乗り場)、26系統(D3乗り場)、205系統(B3乗り場)、206系統(D2乗り場)、208系統 (C1乗り場)
*四条河原町からは5系統
*四条烏丸からは5系統
路線・時刻表・運賃チェック
*JR西日本の場合、最寄り駅は京都駅(徒歩約7分)
*地下鉄烏丸線の場合、最寄り駅は五条駅(徒歩約5分)
【東本願寺お煤払い 歴史・簡単概要】
東本願寺お煤払い(おすすはらい)は本願寺が東西に分立する以前の室町時代、本願寺8世・蓮如上人(れんにょしょうにん)の時代が起源と言われています。なおお煤払いは新年を迎える為の迎春行事です。
お煤払いは全国から集まった信徒や本山の職員などによって行われます。お煤払いでは先ず信者などが横一列になり、割り竹で御影堂(みえいどう)の畳を叩き、約2メートルの大うちわで埃(ほこり)を外に出します。その後雑巾で畳など拭きます。なおお煤払い終了後、お給仕を始める為、門首が竹の棒で紙帳に「寿」の字をなぞられる御規式(おきしき)が行われます。
御影堂は1864年(元治元年)の禁門の変(蛤御門の変)で焼失したが、1895年(明治28年)に再建されました。御影堂は南北に約76メートル・東西に約58メートル・高さ約38メートルで、木造建築としては世界最大です。御影堂は内陣・外陣・参拝席に分かれています。御影堂の内陣の本間には御真影(宗祖・親鸞聖人の坐像)を安置しています。なお御影堂は本瓦葺の入母屋造です。
東本願寺見どころ
【東本願寺 歴史・簡単概要】
東本願寺(ひがしほんがんじ)・真宗本廟(しんしゅうほんびょう)は江戸時代初期の1602年(慶長7年)に本願寺第11世宗主・顕如(けんにょ)の長男で、東本願寺第12代法主・教如(きょうにょ)が江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)から寺地を寄進され、本願寺(西本願寺)の東に創建しました。その結果本願寺は東西に分立することになりました。教如は顕如の示寂によって本願寺を継承したが、石山合戦(いしやまかっせん)で篭城した強硬派を側近に置き、顕如とともに鷺森に退去した穏健派と対立し、関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の怒りを買って退隠させられました。その後度々火災に見舞われ、「火出し本願寺」と揶揄されました。東本願寺は1864年(元治元年)の禁門の変(元治の大火)のどんどん焼け後に再建されました。なお西本願寺(にしほんがんじ)は1272年(文永9年)に浄土真宗の開祖・親鸞聖人(しんらんしょうにん)の末娘・覚信尼(かくしんに)が東山鳥辺野北大谷(元大谷)の石塔に納められていた遺骨を改葬し、東山吉水北に六角の廟堂を建立したのが起源と言われています。
東本願寺は真宗大谷派の本山です。
*参考・・・京都・東本願寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【東本願寺お煤払い 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
東本願寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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