祇園祭と卜部日良麻呂(うらべのひらまろ)
祇園祭と卜部日良麻呂(うらべのひらまろ)
祇園祭は「祇園社本縁録」によると869年(貞観11年)の疾病大流行の際、卜部日良麻呂が第56代・清和天皇の勅命により、6月7日に長さ2丈の66本の矛を建て、6月14日に洛中の男児や郊外の百姓を率いて神輿を神泉苑に渡御させました。
【祇園祭2025 日程】
祇園祭2025は2025年7月1日(火曜日)の吉符入(きっぷいり)から2025年7月31日(木曜日)の疫神社(えきじんじゃ)の夏越祭(なごしさい)までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)
【祇園祭と卜部日良麻呂(うらべのひらまろ)】
祇園祭は「祇園社本縁録(ぎおんしゃほんえんろく)」に「貞観十一年、天下大疫の時、宝祚隆水、人民安全、疫病消除鎮護の為に、卜部日良麻呂、勅を奉じ、六月七日、六十六本の矛を建てる。長さ二丈許。同十四日、洛中男児及び郊外の百姓を率いて神輿を神泉苑に送り、以って祭る。是を祇園御霊会と号す。爾来毎歳六月七日、十四日、恒例と成す。」と記され、869年(貞観11年)に始まったと言われています。869年(貞観11年)の疾病大流行の際、人民安全・疫病消除・鎮護国家などの為、卜部日良麻呂(うらべのひらまろ)が第56代・清和天皇(せいわてんのう)の勅命により、6月7日に長さ2丈の66本の矛(鉾)を建て、6月14日に洛中の男児や郊外の百姓を率いて神輿を八坂神社から神泉苑に渡御させ、神泉苑に祀られました。これが祇園祭の起源とされる祇園御霊会で、その後毎年6月7日・14日に行うことが恒例になりました。卜部日良麻呂が重要な役割を果たしています。ちなみに祇園御霊会は「日本三代実録(にほんさんだいじつろく)」などの正史に記載がなく、室町時代中期の神道家・吉田兼倶(よしだかねとも)が編纂したと言われる「二十二社註式(にじゅうにしゃちゅうしき )」に「天禄元年(970年)六月十四日初御霊会自今年行之」と記され、この記述が比較的確実な史料とされています。その為に祇園祭は平安時代後期の970年(天禄元年)に始まったとも言われています。なお卜部日良麻呂などの卜部氏は6世紀頃から朝廷の祭祀に参与し、後に藤原氏となる中臣氏(なかとみし)に率いられ、大陸伝来の亀卜(きぼく)・日本固有の鹿卜(しかうら・太占(ふとまに))を行っていました。
【卜部平麻呂(卜部日良麿) 祇園祭】
卜部平麻呂(卜部日良麿)は平安時代前期の807年(大同2年)に生れました。出自は明確ではなく、伊豆国の出身と言われています。また大中臣清麻呂(おおなかとみのきよまろ)の孫・大中臣 智治麻呂(おおなかとみのちじまろ)の子とも、中臣氏一族の卜部嶋足(うらべのしまたり)または卜部宮守(うらべのみやもり)の子とも言われています。幼い頃に亀の甲羅(こうら)を焼いて現れる亀裂の形(卜兆)で吉凶を占う亀卜(きぼく)を習得し、その後神祇官(じんぎかん)の卜部になりました。卜術に優れていた為、838年(承和5年)に遣唐使(けんとうし)として入唐し、翌839年(承和6年)に帰国しました。承和年間(834年~848年)に神祇大史(じんぎだいし)になり、850年(嘉祥3年)に神祇少佑(じんぎしょうじょう)に任じられ、857年(斉衡4年)に外従五位下に叙され、858年(天安2年)に神祇権大佑(じんぎごんたいじょう)に任じられ、866年(貞観8年)に三河権介(みかわごんのすけ)に任じられました。その後備後介(びんごのすけ)・丹波介(たんばのすけ)の地方官を歴任し、名前を真雄から平麻呂に改めました。卜部平麻呂は伊豆卜部氏の祖とされています。なお卜部平麻呂は881年(元慶5年)12月29日に亡くなりました。
【祇園祭と卜部日良麻呂(うらべのひらまろ) 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
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