上賀茂神社葵祭社頭の儀2025年5月15日(日程時間・・・)
上賀茂神社社頭の儀
上賀茂神社社頭の儀(日程・時間・・・)を紹介しています。社頭の儀は例年5月15日に行われています。社頭の儀では天皇の勅使が内蔵使から祭文・宣命を受け取って奏上し、幣物を奉納します。神職は祭文・幣物を受け取って神前に献じ、神宣・返祝詞を返します。(詳細下記参照)
★葵祭2025の最新情報
【上賀茂神社社頭の儀2025 日程時間(要確認)】
上賀茂神社社頭の儀2025は2025年(令和7年)5月15日(木曜日)15:30頃から行われます。社頭の儀は葵祭の行列が上賀茂神社に到着後に行われます。なお路頭の儀が雨天で翌日に順延される場合があります。(現在確認中・要注意)
*参考・・・上賀茂神社ホームページ
★葵祭の行事日程を確認できます。(下記リンク参照)
葵祭2025日程(時代行列・流鏑馬神事・・・)
【上賀茂神社社頭の儀 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区上賀茂岡本町
最寄り駅・バス停・・・上賀茂神社前(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは4系統(A2乗り場)
*四条河原町からは4系統、46系統
*四条烏丸からは46系統
*河原町丸太町からは4系統
路線・時刻表・運賃チェック
*地下鉄烏丸線の場合、最寄り駅は北山駅(徒歩約15分)
【上賀茂神社社頭の儀 簡単概要】
上賀茂神社社頭の儀(しゃとうのぎ)は例年5月15日に行われます。社頭の儀は葵祭の行列が上賀茂神社に到着後に行われます。
社頭の儀では天皇の勅使(ちょくし)が内蔵使(くらづかい)から祭文(さいもん)・宣命(せんみょう)を受け取って奏上し、幣物(へいもつ)を奉納します。神職は祭文・幣物を受け取って神前に献じ、神宣(しんせん)・返祝詞(かえしのりと)を返します。ちなみに祭文は下鴨神社・上賀茂神社合わせて一通で、下鴨神社・上賀茂神社での社頭の儀終了後、上賀茂神社に納められます。勅使は二葉葵と桂の枝葉を組み合わせた葵桂(あおいかつら)を授かって退出します。その後饗宴の儀が行われ、2頭の神馬が舞殿を3周引き回され、舞人が神事舞・東遊(あずまあそび)を奉納します。また馬が一ノ鳥居から二ノ鳥居まで疾走する走馬の儀(そうめのぎ)も行われます。
●東遊は外来の楽の隆盛と共に東国から奈良に伝わり、平安時代前期の861年(貞観3年)の東大寺大仏供養の際に唐楽(とうがく)・高麗楽(こまがく)などと一緒に用いられたり、889年(寛平元年)の葵祭(賀茂祭)に用いられたりしたが、その後衰退して中絶しました。しかし東遊は1813年(文化10年)に神事舞として再興されたそうです。
葵祭見どころ
【葵祭 歴史・簡単概要】
葵祭は第29代・欽明天皇の時代(539年~571年)に全国が風水害に見舞われて飢餓・疫病が流行し、卜部伊吉若日子に占わせられたところ賀茂大神の祟りであるとした為、4月吉日を選んで、馬に鈴を懸け、人は猪頭を被り、駆競して、盛大に祭りを行ったことが起源とも言われています。なお葵祭は正式名称を賀茂祭と言うが、賀茂祭は祭儀に関わる人や牛車に至るまで二葉葵を桂の小枝に挿し飾ることから江戸時代以降に葵祭と言われるようになりました。
葵祭歴史年表
【上賀茂神社 歴史・簡単概要】
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は起源が明確ではありません。上賀茂神社は社伝によると神代の昔に賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が現社殿の北北西にある秀峰・神山(こうやま)に降臨したのが起源とも言われています。その後677年(天武天皇6年)に賀茂神宮が造営されたとも言われています。794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都以降は皇城鎮護の神・山城国一之宮として、桓武天皇を初めとする歴代天皇が行幸・奉幣祈願されたと言われています。807年(大同2年)に最高位である神階・正一位を賜って、葵祭(賀茂祭)が勅祭になり、810年(大同5年)には賀茂斎院が置かれ、第52代・嵯峨天皇の皇女・有智子内親王(うちこないしんのう)が初代斎王として仕え、以降歴代斎王が葵祭に奉仕しました。上賀茂神社は明治時代から戦後まで伊勢神宮に次ぐ、官幣大社の筆頭とされました。
*参考・・・上賀茂神社(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【上賀茂神社社頭の儀 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
葵祭2025日程(路頭の儀・前儀・後儀・・・)