金戒光明寺の桜見ごろ2025平年並(4月上旬頃)

金戒光明寺の桜見ごろ(時期・アクセス・概要)
金戒光明寺の桜見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。金戒光明寺の桜見ごろは例年4月上旬頃です。金戒光明寺では染井吉野・枝垂桜など約100本の桜の木が植えられ、高さ約23メートルの山門前の染井吉野や会津藩の墓地がある極楽橋・蓮池の桜などが美しいと言われています。桜越しに三重塔を眺めるのもいいかもしれません。(詳細下記参照)
【金戒光明寺の桜見ごろ(例年時期)・2025年開花満開予測】
金戒光明寺の桜見ごろは例年4月上旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年3月27日、京都地方気象台は桜の開花を発表しました。桜は一般的に数日から1週間ほどで満開になります。
京都桜見ごろ2025(清水寺・哲学の道・原谷苑・・・)
【金戒光明寺桜 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区黒谷町121
最寄り駅・バス停・・・岡崎道(徒歩約10分)、東天王町(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から金戒光明寺は100系統(D1乗り場)
*四条河原町からは32系統、203系統
*四条烏丸からは32系統、203系統
*河原町丸太町からは204系統
路線・時刻表・運賃チェック
【金戒光明寺の桜見ごろ(例年時期) 概要】
金戒光明寺は桜の名所です。金戒光明寺の桜見ごろは例年4月上旬頃です。
金戒光明寺では参道など境内に染井吉野(ソメイヨシノ)・枝垂桜(シダレザクラ)など約100本の桜の木が植えられ、高さ約23メートルの山門(京都府指定文化財)前の染井吉野や会津藩の墓地がある極楽橋・蓮池の桜などが素晴らしと言われています。境内の東側から桜越しに高さ約22メートルの三重塔(重要文化財)を眺めるのもいいかもしれません。
金戒光明寺は室町時代から桜の名所とされ、戦国時代(室町時代後期)の1526年(大永6年)に鷲尾隆康、江戸時代中期の1682年(天和2年)に妙法院門跡堯恕親王がお花見を楽しみました。
- 山門は応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって焼失し、1860年(万延元年)に再建されました。山門には第100代・後小松天皇の勅額「浄土真宗最初門」が掛けられています。なお山門は入母屋造の本瓦葺です。
- 三重塔(文殊塔)は1633年(寛永10年)に建立されました。三重塔にはかつて仏師・運慶作とも言われる文殊菩薩・脇侍像を安置していました。文殊塔は奈良・安倍文殊院(あべもんじゅいん)と天橋立・智恩寺(ちおんじ)ととともに本朝三文殊に数えられました。なお三重塔は本瓦葺です。
- 会津藩の墓地(会津藩殉難者墓所)は幕末に京都守護職に就任した松平容保の会津藩の本陣になり、藩士1,000人が1年おきに常駐していたことに由来しています。墓地では鳥羽・伏見の戦いで戦死した会津藩藩士352名の菩提を弔っています。
●京都で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
京都桜名所・見ごろ(嵐山・仁和寺・醍醐寺・・・)
【金戒光明寺 歴史・簡単概要】
金戒光明寺は1175年(承安5年)に浄土宗の開祖・法然上人が比叡山黒谷を下り、草庵を最初に結んだのが起源と言われています。法然上人は43歳の時に浄土宗を広める為に比叡山黒谷を下り、山頂の石の上で念仏を唱えた時に紫雲が全山にみなぎり、光明が辺りを照らしたことから草庵を結んだと言われ、紫雲山光明寺の名称(山号・寺号)の由来になりました。その後法然上人が弟子で、白川門徒の祖・法蓮房信空に白河の禅房(本房)を黒谷の本房とともに与えたと言われています。鎌倉時代に金戒光明寺5世・素月房恵顗が伽藍を整え、紫雲山光明寺と号し、南北朝時代に金戒光明寺8世・我観房運空が北朝第4代・後光厳天皇に戒を授けたことから金戒の二字を賜り、金戒光明寺と言うようになりました。その後1428年(正長元年)に第100代・後小松天皇から勅願「浄土真宗最初門」を賜りました。
*参考・・・京都・金戒光明寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【金戒光明寺桜 備考】
金戒光明寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
*京都の桜名所では桜の見ごろに合わせ、ライトアップを行なっているところがあります。(下記リンク参照)
京都桜ライトアップ2025(清水寺・円山公園・東寺・・・)