八坂神社・祇園祭と興福寺・延暦寺
八坂神社・祇園祭と興福寺・延暦寺
八坂神社・祇園祭はかつて奈良県奈良市にある法相宗大本山・興福寺(こうふくじ)や滋賀県大津市にある天台宗総本山・延暦寺(えんりゃくじ)、そして延暦寺の守護神・日吉大社(ひよしたいしゃ)やその祭礼・日吉祭(ひよしさい・山王祭(さんのうさい))の影響を受けたとも言われています。
【八坂神社・祇園祭と興福寺・延暦寺(日吉大社)】
八坂神社(観慶寺(かんぎょうじ))は当初奈良県奈良市にある法相宗大本山・興福寺(こうふくじ)の末寺だったが、平安時代中期の10世紀末に滋賀県大津市にある天台宗総本山・延暦寺(えんりゃくじ)の末寺になったとも言われています。ちなみに延暦寺は南都の興福寺と対に北嶺(ほくれい)とも称されました。その後室町時代の1384年(元中元年)に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が延暦寺から独立させたとも言われています。祇園祭(祇園御霊会(ぎおんごりょうえ))869年(貞観11年)に始まり、970年(天禄元年)から毎年旧暦の6月14日に行われるようになったが、一時期延暦寺の影響力により、延暦寺の守護神・日吉大社(ひよしたいしゃ)の祭礼・日吉祭(ひよしさい・山王祭(さんのうさい))が行われない場合、祇園祭も中止させられたり、延期させられたりしたとも言われています。
【八坂神社 歴史・簡単概要】
八坂神社(やさかじんじゃ)は起源が明確ではありません。八坂神社は656年(斉明天皇2年)に高麗(高句麗)から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)が新羅(しらぎ)・牛頭山に座した素戔嗚尊(すさのおのみこと)=牛頭天王(ごずてんのう)を山城八坂郷に奉斎したのが起源とも、876年(貞観18年)に南都(奈良)の僧・円如(えんにょ)が堂(観慶寺)を建立して薬師千手等の像を奉安し、その後天神(祇園神)が東山の麓・祇園林に垂跡(すいじゃく)したのが起源とも言われています。また829年(天長6年)に参議・紀百継(きのももつぐ)が山城八坂郷丘一処を賜り、神の祭祀を行ったのが感神院(かんしんいん)の起源とも言われています。その後869年(貞観11年)に流行した疫病を鎮める御霊会(ごりょうえ)が神泉苑で行われたのが祇園祭の起源と言われ、970年(天禄元年)からは毎年御霊会が行われるようになりました。995年(長徳元年)に王城鎮護の社として二十一社(二十二社)に数えられ、1072年(延久4年)には第71代・後三条天皇が初めて行幸しました。なお八坂神社はかつて感神院・祇園社(ぎおんしゃ)と言われていました。
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【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
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【興福寺 歴史・簡単概要】
興福寺(こうふくじ)は669年(天智天皇8年)に藤原氏の始祖・藤原鎌足(うじわらのかまたり・中臣鎌足(なかとみのかまたり))の妻・鏡大王(かがみのおおきみ)が夫・藤原鎌足の病気平癒の祈願の為に藤原鎌足発願の本尊・釈迦三尊像や四天王などを安置する山階寺(やましなでら)を山背国山階陶原(京都市山科区)に創建したのが起源と言われています。672年(天武天皇元年)の藤原京遷都とともに山階寺も移され、地名から厩坂寺(うまやさかでら)と言われました。その後710年(和銅3年)の平城京遷都とともに藤原鎌足の子・藤原不比等(うじわらのふひと)が現在の場所に移し、興福寺と名付けました。720年(養老4年)に藤原不比等が亡くなると造興福寺仏殿司が設けられ、国家事業として伽藍が整備され、奈良時代に四大寺、平安時代に七大寺に数えられ、比叡山延暦寺(えんりゃくじ)とともに南都北嶺と称されました。最盛期には一乗院(いちじょういん)・大乗院(だいじょういん)など塔頭や付属寺院が百か院以上を数えたそうです。また平安時代に春日大社(かすがたいしゃ)の実権も手に入れ、大和国を領するほどになり、鎌倉時代・室町時代に鎌倉幕府・室町幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たり、江戸時代には興福寺・春日大社の知行地が2万1千余石と定められました。
【延暦寺 歴史・簡単概要】
延暦寺(えんりゃくじ)は788年(延暦7年)に天台宗の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄が自ら刻んだ薬師如来(薬師瑠璃光如来)を本尊とする一乗止観院(いちじょうしかんいん)を創建したのが起源と言われています。一乗止観院は比叡山寺とも言われていたそうです。ちなみに比叡山は古代から地主神・大山咋神(おおやまくいのかみ)が鎮座する神山と崇められていました。790年(延暦9年)に八部院が建立され、791年(延暦10年)に第50代・桓武天皇の御願寺になり、794年(延暦13年)には桓武天皇が行幸して落慶法要が行われたとも言われています。その後806年(延暦25年)に勅許によって天台宗が公認され、822年(弘仁12年)に最澄が亡くなり、823年(弘仁14年)には第52代・嵯峨天皇から最初の年号寺「延暦寺」が許されました。その後延暦寺は融通念仏宗の開祖・良忍、浄土宗の開祖・法然、臨済宗の開祖・栄西、曹洞宗の開祖・道元、浄土真宗の開祖・親鸞、日蓮宗の開祖・日蓮、時宗の開祖・一遍などを次々と輩出しました。
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【日吉大社 歴史・簡単概要】
日吉大社(ひよしたいしゃ)は起源が明確ではありません。日吉大社は約2100年前の紀元前91年(崇神天皇7年)に比叡山(日枝の山)の山頂から現在の場所に移って創祀されたとも言われています。ちなみに「古事記」には「大山咋神、亦の名を山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し」と記されているそうです。その後788年(延暦7年)の天台宗の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄による延暦寺創建後には天台宗・延暦寺の護法神として崇敬され、794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都後には平安京の鬼門(北東)に当たることから鬼門除け・災難除けとして崇敬されました。しかし1571年(元亀2年)の織田信長による比叡山焼き討ちによって焼失し、1586年(天正14年)から社殿の再建が始まりました。なお日吉大社は東本宮に大山咋神(おおやまくいのかみ)・西本宮に大己貴神(おおなむちのかみ)を祀っています。
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