妙蓮寺椿見ごろ2021(11月下旬~3月末頃)

妙蓮寺椿見ごろ

妙蓮寺椿見ごろ(イベント・・・)を紹介。妙蓮寺には1981年(昭和56年)の日蓮大聖人第七百御遠忌の砌に2代目・妙蓮寺椿が妙蓮寺寺務所前に植えられています。2代目・妙蓮寺椿は樹高約3.0メートル・幹周約0.18メートル・枝約1.6メートルで、大ぶりな花を咲かせることから茶席に飾る茶花として重用されています。(詳細下記参照)

【妙蓮寺椿見ごろ(要確認)】
妙蓮寺の椿見ごろは例年11月頃から3月末頃です。なお椿の見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。

【妙蓮寺椿見ごろ アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府京都市上京区寺之内通大宮東入る妙蓮寺前町875
最寄り駅・バス停・・・堀川寺ノ内(徒歩約3分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から妙蓮寺は9系統(B1乗り場)
*四条河原町からは12系統
*四条烏丸からは12系統
京都市バス・アクセスダイヤ京都バス・鉄道乗換案内システム「歩くまち京都」

*地下鉄烏丸線の場合、最寄り駅は鞍馬口駅(徒歩約12分)

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【妙蓮寺椿見ごろ 歴史・簡単概要】
妙蓮寺は京都で良く知られている椿の名所です。妙蓮寺の見ごろは早咲で例年11月頃から3月末頃です。
妙蓮寺には1981年(昭和56年)の日蓮大聖人第七百御遠忌の砌に2代目・妙蓮寺椿が妙蓮寺寺務所前に植えられています。2代目・妙蓮寺椿は樹高約3.0メートル・幹周約0.18メートル・枝約1.6メートルで、大ぶりな花を咲かせることから茶席に飾る茶花として重用されています。初代・妙蓮寺椿は妙蓮寺の塔頭・玉龍院に植えられていたが、1962年(昭和37年)の火災によって焼失しました。初代・妙蓮寺椿は室町時代に活躍した連歌師・宗祇(そうぎ)が椿の豪華な美しさと27ヶ坊を有した寺の盛栄を「余の花は みな末寺なり 妙蓮寺」と詠んで賞賛しました。また江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が賛を寄せたとも言われています。なお妙蓮寺には御会式桜も植えられ、椿と桜の共演が見られることもあります。
宗祇は1421年(応永28年)に紀伊または近江に生まれたとも言われています。若い頃に相国寺で仏門に入り、30歳頃に連歌を志し、宗砌・専順・心敬に連歌を学び、東常縁から古今伝授を授けられました。また東常縁の弟・正宗龍統から漢学、一条兼良から古典、飛鳥井雅親から和歌、卜部兼倶から神道を学びました。1473年(文明5年)頃に上京に種玉庵を結んで公家・室町幕府の武士と信仰を持ち、1488年(長享2年)に北野連歌所宗匠になって連歌界の第一人者になり、1495年(明応4年)に兼載らと「新撰菟玖波集」を撰集しました。その後北野連歌所宗匠を辞し、40才頃から各地を旅していが、1502年(文亀2年)に弟子とともに美濃に向かったが、箱根湯本の旅館で亡くなり、駿河桃園の定輪寺に葬られました。
徳川家康は1543年(天文11年)に三河国額田郡岡崎城主・松平広忠と於大の方の長男として生まれました。幼少期に織田氏・今川氏の人質として過ごし、1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を討つと岡崎に戻り、織田信長と同盟を結んで勢力を拡大しました。1582年(天正10年)の本能寺の変で織田信長が自刀するとは関白・豊臣秀吉と対立するが、その後和睦して豊臣秀吉の天下統一に協力し、豊臣政権の五大老筆頭になりました。1598年(慶長3年)に豊臣秀吉が亡くなり、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで東軍(徳川方)が西軍に勝利し、1603年(慶長8年)に江戸幕府初代将軍になりました。1605年(慶長10年)に徳川秀忠に将軍職を譲って大御所になり、1615年(慶長20年)に大坂の陣で豊臣氏を滅亡させました。なお徳川家康は1616年(元和2年)6月1日になくなりました。
椿は日本原産のツバキ科ツバキ属の常緑樹(照葉樹林)です。椿は北海道などを除く、日本各地に自生しています。椿は日本最古の正史「日本書紀」に第12代・景行天皇が熊襲(くまそ)の乱を鎮めた際、土蜘蛛(つちぐも)に対して海石榴(ツバキ)の椎を用いたと記されています。椿は安土桃山時代に関白・豊臣秀吉が茶の湯に好んで用いると茶道で茶花として重要な地位を占めるようになりました。椿は江戸時代以降に多くの園芸品種が作られ、500以上の園芸品種があると言われています。なお椿は邪悪を祓うとも言われ、正倉院には災いを祓う海石榴の卯杖(うづえ)が収められています。

【妙蓮寺 歴史・簡単概要】
妙蓮寺(みょうれんじ)は鎌倉時代後期の1294年(永仁2年)に四条門流の祖・日像上人(にちぞうしょうにん)が日蓮宗の開祖・日蓮聖人(にちれんしょうにん)からの帝都弘通(京都の布教)宗義天奏(天皇への布教)の遺命を受け、五条西洞院・柳酒屋仲興(なかおき)の邸内に法華堂(ほっけどう)を創建し、卯木山(うぼくさん)妙法蓮華寺(みょうほうれんげじ)と称したのが起源と言われています。柳酒屋仲興は日像聖人に深く帰依し、その未亡人が日像聖人を請じたと言われています。その後度々法難によって荒廃し、室町時代前期の応永年間(1394年~1428年)に妙顕寺を退室した日慶聖人(にっけいしょうにん)が柳屋の地に本門八品門流(ほんもんはっぽんもんりゅう)として再興しました。その後堀川四条に移ったが、戦国時代の1536年(天文5年)の天文法華の乱(てんぶんほっけのらん)によって焼失して堺に避難しました。1542年(天文11年)に第105代・後奈良天皇が法華宗帰洛の綸旨を下し、大宮西北小路に復興されたが、1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉の命によって現在の場所に移りました。江戸時代中期の1730年(享保15年)の西陣焼け・1788年(天明8年)の天明の大火によって焼失し、1789年(寛政元年)から漸次再建されました。
妙蓮寺は本門法華宗の大本山です。
*参考・・・妙蓮寺(アクセス・歴史・見どころ・・・)ホームページ妙蓮寺(アクセス・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【妙蓮寺椿見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
妙蓮寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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