石清水八幡宮青山祭2025/1/18(日程時間・・・)
石清水八幡宮青山祭
石清水八幡宮青山祭(日程・時間・・・)を紹介しています。青山祭は例年1月18日に行われています。青山祭では標高約123メートル男山(おとこやま)山麓の頓宮殿(とんぐうでん)前庭に青柴垣で囲いをつくって祭場を設け、日没とともに道を司る神々を迎え、かがり火の灯りがゆらめく中、国家安泰・厄除開運の祈願祭を行います。(詳細下記参照)
【石清水八幡宮青山祭2025 日程時間(要確認)】
石清水八幡宮青山祭2025は2025年(令和7年)1月18日(土曜日)17:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・石清水八幡宮ホームページ
【石清水八幡宮青山祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府八幡市八幡高坊30
最寄り駅・バス停・・・石清水八幡宮駅(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*祇園四条駅から石清水八幡宮は京阪電鉄本線
【石清水八幡宮青山祭 歴史・簡単概要】
石清水八幡宮青山祭(あおやまさい) は例年1月18日に行われています。青山祭は明治時代以前、道饗祭(みちあえのまつり)または疫神祭(えきじんさい)とも言われていました。
青山祭では標高約123メートル男山(おとこやま)山麓の頓宮殿(とんぐうでん)前庭に青柴垣で囲いをつくって祭場を設け、日没とともに道を司る神々を迎え、かがり火の灯りがゆらめく中、国家安泰・厄除開運の祈願祭を行います。
頓宮殿では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)の葵祭(あおいまつり)と春日大社(かすがたいしゃ)の春日祭(かすがのまつり)とともに日本三大勅祭に数えられる石清水祭(いわしみずさい)の際、山上の本殿から神霊が遷されます。頓宮殿は幕末の鳥羽伏見の戦いで焼失し、その後男山48坊に数えられた岩本坊の神殿が移築されて仮宮とされ、1915年(大正4年)に現在の社殿が造営され、2010年(平成22年)から翌2011年(平成23年)に修復工事が行われました。なお1939年(昭和14年)に山上の南総門から南門として移築されました。
道饗祭は上代から6月・12月に行われ、神祇令に定められていました。道饗祭では都の四隅の路上で八衢比古神(やちまたひこのかみ)・八衢比売神(やちまたひめのかみ)・久那斗神(くなどのかみ)を祀り、路上で饗応して魑魅 (ちみ) ・妖怪(ようかい)が都・宮中に入るのを防ぎました。
疫神祭は古代から3月に行われていました。平安時代には皇居の四隅や畿内の境界に疫神を祀り、悪病の流行を防ぎました。
●石清水八幡宮の歴史(創建から現在)を紹介しています。
石清水八幡宮歴史(行教・清和天皇・・・)
●石清水八幡宮の見どころ(本殿・楼門など)を紹介しています。
石清水八幡宮見どころ
【石清水八幡宮 歴史・簡単概要】
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は平安時代前期の859年(貞観元年)に南都(奈良)大安寺(だいあんじ)の僧・行教(ぎょうきょう)が豊前(大分)・宇佐八幡宮(うさはちまんぐう・宇佐神宮(うさじんぐう))の祭神・八幡大神(はちまんおおかみ)から「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」という神託を受け、男山の峯に神霊を奉安したのが起源と言われています。翌860年(貞観2年)に第52代・清和天皇が八幡造りの社殿(六宇の宝殿(ろくうのほうでん))を造営しました。石清水八幡宮の名称は男山に既にあった石清水山寺(摂社・石清水社)に由来しています。その後939年(天慶2年)の承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん・平将門の乱(たいらのまさかどのらん)・藤原純友の乱(ふじわらのすみとものらん))の平定以来、国家鎮護の社として皇室に篤く崇敬され、第64代・円融天皇の行幸から天皇の行幸や上皇の御幸は240余度にもなりました。また清和天皇を祖とする源氏諸氏族の氏神としても崇敬されました。なお明治維新後の神仏分離により、神号を「八幡大菩薩」から「八幡大神」に改め、1871年(明治4年)に社号を「男山八幡宮」に改めたが、1918年(大正7年)には「石清水八幡宮」に改めました。
*参考・・・京都・石清水八幡宮(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【石清水八幡宮青山祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
石清水八幡宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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