長岡天満宮カキツバタ見ごろ2024(5月上旬~6月上旬頃)
長岡天満宮カキツバタ見ごろ(見頃)
長岡天満宮カキツバタ見ごろ(時期・イベント・・・)情報を紹介しています。長岡天満宮では八条ケ池西池北東側(カキツバタ園)に約100株のカキツバタが植えられ、青紫色の花を咲かせます。アヤメ・花ショウブ・スイレンに見ごろを迎え、カキツバタと一緒に楽しめる場合もあります。(詳細下記参照)
【長岡天満宮カキツバタ見ごろ(例年時期)・2022年情報】
長岡天満宮のカキツバタ見ごろは例年5月中旬頃から6月上旬頃です。ただカキツバタ見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都カキツバタ名所・見ごろ
【長岡天満宮カキツバタ見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府長岡京市天神2-15-13
最寄り駅・バス停・・・長岡京駅(徒歩約20分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からはJR東海道線
*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は長岡天神駅(徒歩約10分)
【長岡天満宮カキツバタ見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
長岡天満宮はカキツバタ(杜若)の名所です。長岡天満宮のカキツバタ見ごろは例年5月中旬頃から6月上旬頃です。
長岡天満宮では八条ケ池西池北東側(カキツバタ園)に約100株のカキツバタが植えられ、青紫色の花を咲かせます。園庭にはベンチも置かれ、座って眺めることができます。八条ケ池にはアヤメ(5月中旬頃~下旬頃)・花ショウブ(6月頃)・スイレン(6月頃)に見ごろを迎え、カキツバタと一緒に楽しめる場合もあります。
八条ケ池は1638年(寛永15年)に第106代・正親町天皇(おおぎまちてんのう)の孫・八条宮智仁親王(はちじょうのみやとしひとしんのう)が造営を命じた灌漑用の溜め池です。八条ケ池は外周が約1キロ・貯水量が約3万5千トンで、池を二分する中堤は長岡天満宮の参道として使われています。中堤真ん中にある石の太鼓橋は加賀藩・前田家が寄進したと言われています。
カキツバタ(杜若・燕子花)はアヤメ科アヤメ属の抽水性多年草です。カキツバタは日本全土や朝鮮半島・中国東北部・シベリア東部の湿地などに群生しています。カキツバタは葉が長さ30~70センチで、剣状で幅広く、先が少し垂れています。花茎は高さ50~70センチで、花が径約12センチの青紫色です。内花被片(ないかひへん)は矛形で直立し、外花被片は垂れ下がって中央部に白色または淡黄色の斑紋(はんもん)があります。カキツバタは古くから花汁を使って布を染め、書き付け花とも言われ、それが転訛して「カキツバタ」となった言われています。その後江戸時代に園芸化が進み、多くの品種が作り出されました。園芸種には白花もあり、シロカキツバタと言われています。なおカキツバタは毎年例年5月から6月に花を咲かせます。
【長岡天満宮 歴史・簡単概要】
長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)は平安時代に祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)の所領だった場所です。道真は第51代・平城天皇(へいぜいてんのう)の孫で、歌人・在原業平(ありわらのなりひら)らと詩歌・管弦を楽しんだと言われています。901年(延喜元年)に道真が左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言(告げ口)によって太宰府(だざいふ)に左遷された際、この地に立ち寄って名残惜しんだと言われています。その後大阪・高槻まで付き従った中小路宗則(なかこうじむねのり)に道真自作の木像と念持仏を託し、長岡天満宮は903年(延喜3年)の道真の死後に木像を祀る祠が造営されたのが起源と言われています。室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))で焼失したり、桃山時代の1596年(慶長元年)の慶長の大地震で倒壊したりしたが、その度に再建されました。江戸時代前期の1638年(寛永15年)に八条宮智仁親王(はちじょうのみやとしひとしんのう)が八条ヶ池を築造しました。その後1941年(昭和16年)に平安神宮の社殿が移築され、本殿などになりました。なお長岡天満宮は主祭神に菅原道真を祀り、春日社(かすがしゃ)・八幡社(はちまんしゃ)・稲荷神社(いなりじんじゃ)・山神社(やまがみしゃ)・龍神社(りゅうじんしゃ)・和泉殿社(いずみでんしゃ)・白太夫社(しらだゆう しゃ)の7社の末社も祀っています。
*参考・・・長岡天満宮(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【長岡天満宮カキツバタ見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
長岡天満宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報