円融天皇・後村上陵(アクセス・マップ・概要・・・)

円融天皇・後村上陵

円融天皇・後村上陵(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。円融天皇は和歌を愛好し、譲位後の985年(寛和元年)に子の日の御遊(ねのひのぎよゆう)を盛大に催し、平兼盛・大中臣能宣・清原元輔・源重之・紀時文など著名な歌人に和歌を奉らせました。円融天皇の和歌は「拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)」以下の勅撰集に24首が入集されています。

【円融天皇・後村上陵 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市右京区宇多野福王子町
最寄り駅・バス停・・・福王子(徒歩約8分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅・四条大宮から福王子神社は高雄京北線 栂ノ尾・周山行き
西日本JRバス・アクセスダイヤ

【円融天皇・後村上陵 拝観時間・時間(要確認)】

【円融天皇・後村上陵 拝観料金・料金(要確認)】

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【円融天皇・後村上陵 歴史・簡単概要】
後村上陵(のちのむらかみのみささぎ)は第64代・円融天皇(えんゆうてんのう)の陵墓(円丘)です。円融天皇は平安時代中期の959年(天徳3年)4月12日(旧暦3月2日)に第62代・村上天皇(むらかみてんのう)を父、右大臣・藤原師輔(ふじわらのもろすけ)の娘・藤原安子(ふじわらのあんし)を母とし、村上天皇の第5皇子・守平親王(もりひらしんのう)として生まれ、964年(応和4年)に母・藤原安子が亡くなるとその妹・藤原登子(ふじわらのとうし)に育てられました。967年(康保4年)7月5日(旧暦5月25日)に兄・憲平親王(のりひらしんのう)が第63代・冷泉天皇(れいぜいてんのう)として即位すると立太子され、969年(安和2年)9月27日(旧暦8月13日)に冷泉天皇が譲位すると同日に守平親王が数え年11歳で第64代・円融天皇として即位しました。即位後に藤原氏の勢力争いに翻弄されるようになり、984年(永観2年)9月24日(旧暦8月27日)に第65代・花山天皇(かざんてんのう)に譲位し、985年(寛和元年)に落飾して金剛法(こんごうぼう)と号し、仁和寺(にんなじ)の一院である御願寺(ごがんじ)・円融寺(えんゆうじ・円融院)に住して風流文雅の生活を送り、京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)・滋賀県大津市の石山寺(いしやまでら)・南都(奈良)の諸寺などに御幸し、991年(正暦2年)3月1日(旧暦2月12日)に崩御しました。死後に円融寺の北原で火葬され、背後の朱山(しゅやま)の火葬塚に納骨されたと言われています。なお1862年(文久2年)の文久の修陵で陵(みささぎ)に決定されなかったが、1889年(明治22年)に現在地に陵が決定されました。
*参考・・・円融天皇・後村上陵(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ円融天皇・後村上陵(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【円融天皇・後村上陵 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】

【円融天皇・後村上陵 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・03-3213-1111(宮内庁)

【円融天皇・後村上陵 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
円融天皇・後村上陵では例年7月上旬頃に八坂神社の祭礼・祇園祭の神輿渡御(神幸祭・還幸祭)で重要な神事を担う宮本組が参拝し、祇園祭の無事を祈願しています。円融天皇は974年(天延2年)に神輿が鴨川を渡って平安京を渡御するように命じ、その直筆とされる勅板(ちょくばん・勅裁御板)が神輿と同じように祇園祭で渡御しています。
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【円融天皇・後村上陵 おすすめ散策ルート】
円融天皇・後村上陵からのおすすめ散策ルートは福王子バス停近くにある福王子神社に向かうルートです。10分ほど散策すれば、福王子神社に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお円融天皇・後村上陵の東側には世界遺産である仁和寺があり、それも一緒に散策するのもいいかもしれません。

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