真如堂お十夜2024年11月5日~15日(日程時間・・・)
真如堂お十夜
真如堂お十夜(日程・時間・・・)を紹介しています。お十夜は例年11月5日から15日まで行われています。お十夜は阿弥陀如来の法恩に対する感謝の為の法要です。お十夜は5日の開闢法要に始まり、6日から14日までは夜に法要が行われ、15日は結願法要・閉帳法要が行われます。お十夜では毎夜鉦講員が直径約30センチの鉦を打って阿弥陀仏を念じます。(詳細下記参照)
【真如堂お十夜2024 日程時間(要確認)】
真如堂お十夜2024は2024年(令和6年)11月5日(火曜日)~15日(金曜日)に行われます。過去のタイムテーブルは5日17:00から開闢法要、6日~14日18:00から法要、15日14:00から結願法要が行われます。(現在確認中・要注意)
真如堂ホームページ
【真如堂お十夜 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区浄土寺真如町82
最寄り駅・バス停・・・真如堂前(徒歩約8分)、錦林車庫前(徒歩約8分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から真如堂は5系統(A1乗り場)
*四条河原町からは5系統、32系統、203系統
*四条烏丸からは5系統、203系統
*河原町丸太町からは204系統
路線・時刻表・運賃チェック
【真如堂お十夜 歴史・簡単概要】
真如堂お十夜(おじゅうや)・十日十夜別時念仏会(じゅうにちじゅうやべつじねんぶつえ)は永亨年間(1429年~1441年)に室町幕府の執権・伊勢守貞経の弟・平貞国が起源と言われています。平貞国は出家する為に真如堂に籠もって念仏の行を3日3夜行った際、夢枕に僧侶が現れ、「阿弥陀さまを信じる気持が本当なら、出家するしないは関係ないではないか。出家するのは待ちなさい」と告げられたことから家に戻ると兄が吉野に謹慎処分になり、平貞国が家督を継ぐことになりました。平貞国は出家・兄の謹慎処分により、家が断絶しなかったのは阿弥陀さまのお陰とその後念仏の行を7日7夜行い、合計10日10夜になりました。
お十夜は「この世で10日10夜善いことをすれば、仏国土で千年善いことをしたことに勝る」という「無量寿経(むりょうじゅきょう)」の教えに由来し、阿弥陀如来の法恩に対する感謝の為の法要です。お十夜は5日の開闢(かいびゃく)法要に始まり、その後6日から14日までは夜に法要が行われ、最終日の15日は午後からは結願法要・閉帳法要が行われます。なおお十夜では毎夜鉦講員が直径約30センチの鉦を打って阿弥陀仏(あみだぶつ)を念じます。結願法要ではお練り法要が行われ、本尊・阿弥陀如来(重要文化財)に近づいて参拝することができます。
お十夜は真如堂から浄土宗の寺院に広まります。1495年(明応4年)に鎌倉・光明寺の観誉祐崇上人が後土御門天皇に招かれ、「阿弥陀経」の講義を行いました。また観誉祐崇上人は真如堂の僧侶とともに引声念仏を修し、勅許を得たことからお十夜が光明寺で行うようになり、浄土宗の寺院に広まったそうです。
本尊・阿弥陀如来は平安時代に第3代天台座主である慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)が造仏したとも言われています。なお阿弥陀如来は三国無双の阿弥陀如来とも称されています。
【真如堂 歴史・簡単概要】
真如堂(しんにょどう)・真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)は984年(永観2年)に比叡山の僧・戒算上人(かいさんしょうにん)が夢告により、比叡山・常行堂の本尊・阿弥陀如来(第3代天台座主の慈覚大師・円仁作)を第64代・円融天皇の女御で、第66代・一条天皇の生母である藤原詮子(東三条院)の女院離宮があった現在の場所に安置したのが起源と言われています。真如堂は一条天皇の勅願寺となり、不断念仏の道場として、浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)や浄土真宗の開祖・親鸞聖人(しんらんしょうにん)などの念仏行者や民衆から信仰されました。特に女性から深く信仰されたそうです。その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火や度重なる火災によって焼失したり、足利将軍家や関白・豊臣秀吉の命によって度々移ったりしたが、1693年(元禄6年)に第113代・東山天皇の勅により、現在の場所に再建されました。
真如堂は天台宗の寺院です。
*参考・・・真如堂(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【真如堂お十夜 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
お十夜では中風除けの小豆粥の接待もあります。(要確認)
真如堂(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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