三千院御懺法講(日程・時間・・・)

三千院(Sanzen-in Temple)

三千院御懺法講

三千院御懺法講(日程・時間・・・)を紹介しています。御懺法講は例年5月30日に行われています。御懺法講では初期大乗仏教経典・法華経を読誦し、諸悪の行いを懺悔し、心の中にある三毒「むさぼり・怒り・愚痴」を取り除き、心を静め清らかにする天台宗の最も重要な法要です。御懺法講では先祖に対しても報恩・感謝を捧げます。(詳細下記参照)

【三千院御懺法講2018 日程時間(要確認)】
三千院御懺法講2018は2018年5月30日(火曜日)11:00から行われます。なお5月30日は庭園のみの拝観になります。

【三千院御懺法講 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区大原来迎院町540
最寄り駅・バス停・・・大原(徒歩約10分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から三千院は17系統(C3乗り場)、18系統(C3乗り場)
*四条河原町・三条京阪からは17系統
*四条烏丸からは17系統
京都バス・アクセスダイヤ

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【三千院御懺法講 歴史・簡単概要】
三千院御懺法講(おせんぼうこう)は1157年(保元2年)に第77代・後白河天皇が内裏・仁寿殿(じじゅうでん)で行った宮中御懺法講が起源と言われています。その後御懺法講は宮中や門跡寺院で行われていたが、三千院では一時途絶え、1989年(平成元年)に復興したそうです。御懺法講では初期大乗仏教経典・法華経を読誦し、諸悪の行いを懺悔し、心の中にある三毒「むさぼり・怒り・愚痴」を取り除き、心を静めて清らかにする最も重要な天台宗の法要です。また御懺法講では先祖に対しても報恩・感謝を捧げます。
御懺法講では声明懺法(しょうみょうせんぼう)と雅楽が合わせた古儀に則り、宮中法会を平安絵巻きさながらに再現します。
仁寿殿は御所のほぼ中央にある殿舎で、中殿とも後殿とも言われました。仁寿殿近くには公的な最重要儀式が行われた紫宸殿(ししんでん)や平安時代に天皇が居住した清涼殿(せいりょうでん)がありました。
三毒(さんどく)は仏教で克服すべき3つの煩悩である貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)を言います。貪(貪欲)が「むさぼり」・瞋(瞋恚)が「怒り」・癡(愚癡)が「愚痴」です。
声明は経典などに独特の節を付けたもので、天台声明が広く知られています。
●三千院の歴史(創建から現在)を紹介しています。
三千院歴史(伝教大師・最澄)
●三千院の見どころ(往生極楽院・客殿など)を紹介しています。
三千院見どころ(往生極楽院・客殿など)

【三千院 歴史・簡単概要】
三千院(さんぜんいん)は788年(延暦7年)に天台宗(てんだいしゅう)の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)が比叡山(ひえいざん)に延暦寺(えんりゃくじ)を創建し、比叡山東塔南谷(とうとうみなみだに)の山梨の大木の下に一宇・円融房(えんにゅうぼう)を構えたのが起源と言われています。その後第3代天台座主(てんだいざす)である慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)が引き継ぎました。860年(貞観2年)に承雲和尚(じょううんおしょう)が伽藍を建立し、伝教大師・最澄作の薬師如来(やくしにょらい)像を安置し、円融院(えんゆういん)と称したとも言われています。1118年(元永元年)に第73代・堀河天皇(ほりかわてんのう)の皇子・最雲法親王(さいうんほっしんのう)が入寺し、宮門跡(みやもんぜき)になりました。三千院は比叡山内から近江坂本に移り、1232年(貞永元年)に火災に見舞われると京都の洛中・東山を転々とし、名称も円融房・梨下房・梨下門跡・梶井宮などと改めました。1871年(明治4年)に大原の政所(まんどころ)を本坊と定め、名称を三千院(三千院門跡)に改めました。
三千院は天台宗の寺院です。天台宗の三門跡(青蓮院・妙法院)の中で一番歴史が古い。
*参考・・・京都・三千院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【三千院御懺法講 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
三千院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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