鹿王院椿見ごろ2021(3月下旬頃~)

鹿王院椿見ごろ

鹿王院椿見ごろ(イベント・・・)を紹介。鹿王院には竹林が美しい山門から伸びる石畳の参道両側にタカオカエデなどとともにやぶ椿が植えられています。石畳の参道は椿ロードとも言われています。鹿王院には20~30本のやぶ椿が植えられています。ちなみに鹿王院には夏椿とも言われる沙羅の花も植えられています。(詳細下記参照)

【鹿王院椿見ごろ(要確認)】
鹿王院の椿見ごろは例年3月下旬頃からです。なお椿の見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。

【鹿王院椿見ごろ アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府京都市右京区嵯峨北堀町24
最寄り駅・バス停・・・下嵯峨(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から鹿王院は72系統(C6乗り場)、73系統(C6乗り場)
京都バス・アクセスダイヤ

*嵐電(京福電鉄)嵐山本線の場合、最寄り駅は鹿王院駅(徒歩約3分)
*JR嵯峨野線の場合、最寄り駅は嵯峨嵐山駅(徒歩約12分)

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【鹿王院椿見ごろ 歴史・簡単概要】
鹿王院は京都で良く知られている椿の名所です。鹿王院の見ごろは例年3月下旬頃からです。
鹿王院には竹林が美しい山門から伸びる石畳の参道両側にタカオカエデなどとともにやぶ椿が植えられています。石畳の参道は椿ロードとも言われています。鹿王院には20~30本のやぶ椿が植えられています。ちなみに鹿王院には夏椿とも言われる沙羅の花も植えられています。なお鹿王院では椿だけでなく、庭園も楽しむことができます。
やぶ椿は青森県から沖縄県までの太平洋側の海岸など暖地の丘陵などに自生しています。やぶ椿はツバキ科ツバキ属の常緑樹・照葉樹林の代表的です。一般的に椿と言うとやぶ椿を指しています。やぶ椿は江戸時代以降に数多くの園芸品種のもとになりました。なおヤブツバキは代表的な茶花で、日本最古の観賞用花木とも言われています。
椿は日本原産のツバキ科ツバキ属の常緑樹(照葉樹林)です。椿は北海道などを除く、日本各地に自生しています。椿は日本最古の正史「日本書紀」に第12代・景行天皇が熊襲(くまそ)の乱を鎮めた際、土蜘蛛(つちぐも)に対して海石榴(ツバキ)の椎を用いたと記されています。椿は安土桃山時代に関白・豊臣秀吉が茶の湯に好んで用いると茶道で茶花として重要な地位を占めるようになりました。椿は江戸時代以降に多くの園芸品種が作られ、500以上の園芸品種があると言われています。なお椿は邪悪を祓うとも言われ、正倉院には災いを祓う海石榴の卯杖(うづえ)が収められています。
庭園は前庭・本庭・後庭からなります。本庭は嵐山を借景とした平庭式枯山水庭園で、苔で覆われています。本庭は江戸時代中期の1763年(宝暦13年)に建立された舎利殿(駄都殿)と同じ時期に作庭されたとも言われています。また庭園は南北朝時代の1387年(嘉慶元年・元中4年)の鹿王院創建時、またはその後間もなく任庵主が作庭したとも言われています。その後安土桃山時代の1596年(慶長元年)の地震で伽藍の多くが倒壊したが、庭園は作庭時からあまり姿と変えていないとも言われています。

【鹿王院 歴史・簡単概要】
鹿王院(ろくおういん)は南北朝時代の1387年(嘉慶元年・元中4年)に宝幢寺(ほうどうじ・宝幢禅寺(ほうとうぜんじ))内に開山塔(塔頭)として建立され、鹿王院と称したのが起源です。ちなみに宝幢寺(宝幢禅寺)は1380年(康暦2年・天授6年)に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が臨済宗の禅僧である普明国師(ふみょうこくし)・春屋妙葩(しゅんおくみょうは)を開山として創建し、当初興聖寺(こうしょうじ)と号していました。宝幢寺は禅寺十刹の第5位に列せられる大寺だったが、応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって廃絶し、残った宝幢寺の塔頭・鹿王院が寺籍を引き継ぎました。その後江戸時代前期の寛文年間(1661年~1673年)に徳川四天王の一人である酒井忠次(さかいただつぐ)の子・酒井忠知(さかいただとも)が再興し、忠知の五男・虎岑玄竹(こしんげんちく)が中興開山になりました。なお鹿王院の名称は宝幢寺内に鹿が現れたことに由来するとも言われています。
鹿王院は臨済宗系の単立寺院です。
*参考・・・鹿王院(アクセス・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【鹿王院椿見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
鹿王院(アクセス・見どころ・・・)情報

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