上賀茂神社幸在祭2025/2/(日程・時間・・・)
上賀茂神社幸在祭
上賀茂神社幸在祭(さんやれ祭)(日程・時間・・・)を紹介しています。幸在祭は例年2月24日に行われています。幸在祭は江戸時代から行われている農家の元服(成人)の儀式です。上賀茂神社の摂末社である福徳社・大田神社(おおたじんじゃ)から上賀茂神社までを練り歩き、「あがり(元服・成人)」になったことを神前に奉告します。(詳細下記参照)
【上賀茂神社幸在祭2024 日程時間(要確認)】
上賀茂神社幸在祭2024は2024年(令和6年)2月24日(土曜日)12:00頃から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・上賀茂神社ホームページ
【上賀茂神社幸在祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区上賀茂本山340
最寄り駅・バス停・・・上賀茂神社前(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から大田神社は4系統(A2乗り場)
*四条河原町からは4系統、46系統
*四条烏丸からは46系統
*河原町丸太町からは4系統
路線・時刻表・運賃チェック
*地下鉄烏丸線の場合、最寄り駅は北山駅(徒歩約15分)
【上賀茂神社幸在祭 歴史・簡単概要】
大田神社(上賀茂神社)幸在祭(さんやれ祭)は上賀茂地域(4地区)で、江戸時代から行われている農家の元服(成人)の儀式です。上賀茂地域ではサンヤレ講が組織され、男の子が15歳になると町内の行事や畑仕事などで一人前の大人として扱われる「あがり」になります。「あがり」になった男の子は大島紬の羽織・白襟巻き・黒足袋・下駄姿で太鼓を打ち鳴らし、「おーめでとうござる。どぉっこい」などと囃して鉦を鳴らす子供・大将木(たいしょうぎ・青木)の幣を持つ子供・供物を持つ大人とともに福徳社(上賀茂神社の境外末社)と大田神社(上賀茂神社の境外摂社)から上賀茂神社までを練り歩きます。上賀茂神社では土舎(つちのや)でお祓いを受け、本殿で「あがり」になったことを神前に奉告します。なお大田神社では巫女による神楽舞も行われます。
少子化の影響により、「あがり」の男の子がいなかったり、合同で練り歩いたりすることもあるようです。また大人が大将木を持つこともあるようです。
●上賀茂神社の歴史(創建から現在)を紹介しています。
上賀茂神社歴史(賀茂別雷命・・・)
●上賀茂神社の見どころ(本殿・細殿立砂など)を紹介しています。
上賀茂神社見どころ(本殿・細殿立砂など)
【大田神社 歴史・簡単概要】
大田神社(おおたじんじゃ)は起源が明確ではありません。大田神社はかつて賀茂県主(かものあがたぬし)が祀られていた場所とも言われています。927年(延長5年)成立の「延喜式」の神名帳には太田神社の名前が記載されています。その後1628年(寛永5年)本殿・拝殿が造り替えられました。なお上賀茂神社は社伝によると神代の昔に賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が現社殿の北北西にある秀峰・神山(こうやま)に降臨したのが起源と言われています。
大田神社は上賀茂神社(賀茂別雷神社)の境外摂社(第三摂社)です。
*参考・・・大田神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【上賀茂神社 歴史・簡単概要】
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は起源が明確ではありません。上賀茂神社は社伝によると神代の昔に賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が現社殿の北北西にある秀峰・神山(こうやま)に降臨したのが起源とも言われています。その後677年(天武天皇6年)に賀茂神宮が造営されたとも言われています。794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都以降は皇城鎮護の神・山城国一之宮として、桓武天皇を初めとする歴代天皇が行幸・奉幣祈願されたと言われています。807年(大同2年)に最高位である神階・正一位を賜って、葵祭(賀茂祭)が勅祭になり、810年(大同5年)には賀茂斎院が置かれ、第52代・嵯峨天皇の皇女・有智子内親王(うちこないしんのう)が初代斎王として仕え、以降歴代斎王が葵祭に奉仕しました。上賀茂神社は明治時代から戦後まで伊勢神宮に次ぐ、官幣大社の筆頭とされました。
上賀茂神社は下鴨神社(賀茂御祖神社)とともに古代氏族・賀茂氏の氏神を祀る神社です。
*参考・・・上賀茂神社(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【上賀茂神社幸在祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
葵祭2025日程(時代行列・流鏑馬神事・・・)