勝持寺の紅葉見ごろ2025(時期:11月中旬~11月下旬頃)
勝持寺の紅葉見ごろ(時期・アクセス・概要)
勝持寺の紅葉見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。勝持寺にはいずれも約100本のモミジ・サクラなどが分布し、紅葉と阿弥陀堂(本堂)・鐘楼堂などの伽藍や参道・白壁・石垣などの光景が美しいと言われています。勝持寺では阿弥陀堂などが石垣の上に建立され、高台から紅葉を眺めるのもいいかもしれません。(詳細下記参照)
【勝持寺の紅葉見ごろ(例年時期)・2025年予測】
勝持寺の紅葉見ごろは例年11月中旬頃から11月下旬頃です。ただ紅葉の時期や見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年9月上旬頃から京都の紅葉見ごろ情報を情報発信します。
京都紅葉見ごろ2025(清水寺・東福寺・永観堂・・・)
【勝持寺紅葉 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市西京区大原野南春日町1194
最寄り駅・バス停・・・南春日町(徒歩約20分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*阪急電鉄・東向日駅からは63系統、65系統
阪急バス・アクセスダイヤ
【勝持寺の紅葉見ごろ(例年時期)・見どころ 概要】
勝持寺は紅葉の名所です。勝持寺の紅葉見ごろは例年11月中旬頃から11月下旬頃です。ちなみに標高は約170メートルです。
勝持寺にはいずれも約100本のモミジ・サクラなどが分布し、紅葉と阿弥陀堂(本堂)・鐘楼堂などの伽藍や参道・白壁・石垣などの光景が美しいと言われています。勝持寺では阿弥陀堂などが石垣の上に建立され、高台から紅葉を眺めるのもいいかもしれません。
勝持寺には阿弥陀堂(本堂)・不動堂・瑠璃光殿・庫裏・鐘楼堂・仁王門などが建立されています。仁王門は勝持寺寺最古の建造物で、平安時代前期の仁寿年間(851年~854年)に建立されたとも言われています。
勝持寺は紅葉や桜が美しいことから花の寺とも言われています。勝持寺では平安時代後期の1140年(保延6年)に僧侶・歌人である西行法師が出家し、西行桜とも言われる桜の木を植えたとも言われています。
紅葉狩りは平安時代に貴族から盛んになり、邸宅にモミジを植えたり、紅葉の名所に出掛けたりしたそうです。室町時代に徐々に庶民にも広がり、江戸時代中期に庶民の行楽として人気になったと言われています。なお奈良時代末期成立の日本最古の和歌集「万葉集」にはモミジを詠んだ和歌が残されています。
●京都で人気の紅葉名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
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【勝持寺 歴史・簡単概要】
勝持寺は679年(白鳳8年)に修験道の祖で、神変大菩薩と言われる役行者・役小角が第40代・天武天皇の勅によって創建したと言われています。784年(延暦3年)に第50代・桓武天皇の皇后・藤原乙牟漏が藤原氏の氏神である奈良・春日大社の分霊を勧請して大原野神社を創建すると別当寺とされました。791年(延暦10年)に天台宗の宗祖である伝教大師・最澄が桓武天皇の勅により、堂塔伽羅を再建し、一刀三礼で自ら刻んだ薬師瑠璃光如来を本尊として安置し、小塩山大原寺と称したと言われています。838年(承和5年)に第54代・仁明天皇の勅によって塔頭49院が建立されました。1140年(保延6年)に歌人・西行法師が勝持寺で出家しだとも言われています。1467年(応仁元年)に応仁の乱が起こり、仁王門を除いた伽藍の多くが焼失しました。天正年間(1573年~1592年)に伽藍が再建されました。江戸時代(1603年~1868年)前期に江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院の帰依を受け、伽藍が修復されたと言われています。明治維新後の神仏分離令により、大原野神社との関係が解消されました。
*参考・・・勝持寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【勝持寺紅葉 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
勝持寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
★京都の紅葉名所では紅葉の見ごろに合わせ、ライトアップを行なっているところがあります。(下記リンク参照)
京都紅葉ライトアップ2025(清水寺・永観堂・東寺・・・)