上賀茂神社紀州梅道中2025年6月6日(日程・時間・・・)
上賀茂神社紀州梅道中
上賀茂神社紀州梅道中(日程・時間・・・)を紹介しています。紀州梅道中は毎年梅の日である6月6日に行われています。紀州梅道中では先ず平安装束の女性・白装束の担い手・雲水・奉行などが行列を組んで本殿近くまで道中を行います。なお紀州梅道中は紀州梅の会が6月6日を梅の日とした2006年(平成18年)から行われています。(詳細下記参照)
【上賀茂神社紀州梅道中2025 日程時間(要確認)】
上賀茂神社紀州梅道中2025は2025年(令和7年)6月6日(金曜日)13:30から行われます。なお10:30から下鴨神社でも行われます。
【上賀茂神社紀州梅道中 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区上賀茂岡本町
最寄り駅・バス停・・・上賀茂神社前(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは4系統(A2乗り場)
*四条河原町からは4系統、46系統
*四条烏丸からは46系統
*河原町丸太町からは4系統
路線・時刻表・運賃チェック
*地下鉄烏丸線の場合、最寄り駅は北山駅(徒歩約15分)
【上賀茂神社紀州梅道中 歴史・簡単概要】
上賀茂神社紀州梅道中(きしゅううめどうちゅう)は1545年(天文14年)に晴天が続き、作物が育たず、田植えもできなかた時、6月6日(旧暦の4月17日)に第105代・後奈良天皇が賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)の祭神・賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)に梅を奉納して祈願したところ雷鳴とともに大雨が降って五穀豊穣をもたらし、人々は恵の雨を梅雨と言い、梅に感謝するとともに災いや疫病を除き、福を招く梅を梅法師(うめほうし)と言って贈り物にするようになったという故事に因んで行われています。紀州梅道中は紀州梅の会が6月6日を梅の日とした2006年(平成18年)から行われています。
紀州梅道中では先ず虫の垂れ絹などの平安装束の女性・白装束の担い手・雲水・奉行などが行列を組んで本殿近くまで道中を行います。その後神前に梅を奉納する神事などが行われます。
紀州梅の会は和歌山田辺市や紀南農協組合を中心に結成された団体です。紀州梅の会では6月6日の梅の日に京都だけでなく、地元和歌山や東京などでもイベントやプロモーションを行っているそうです。
賀茂別雷神は上賀茂神社の祭神です。ちなみに下鴨神社の東本殿には賀茂別雷神の母・玉依姫命(たまよりひめのみこと)、西本殿には賀茂別雷神の祖父で、玉依姫命の父・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が祭神として祀られています。
梅はバラ科サクラ属の落葉高木で、奈良時代に中国から日本に伝わったと言われています。ちなみに梅は中国では熱さまし・咳止めなどの薬として使われ、梅干しが日本で一般に食べられるようになったのは江戸時代からだそうです。ただ951年(天暦5年)に第62代・村上天皇が梅干しと昆布茶で御脳(おのう)を治したとも言われ、北野天満宮の大福梅の授与の起源ともなっています。
●上賀茂神社の歴史(創建から現在)を紹介しています。
上賀茂神社歴史(賀茂別雷命・・・)
●上賀茂神社の見どころ(本殿・細殿立砂など)を紹介しています。
上賀茂神社見どころ(本殿・細殿立砂など)
【上賀茂神社 歴史・簡単概要】
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は起源が明確ではありません。上賀茂神社は社伝によると神代の昔に賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が現社殿の北北西にある秀峰・神山(こうやま)に降臨したのが起源とも言われています。その後677年(天武天皇6年)に賀茂神宮が造営されたとも言われています。794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都以降は皇城鎮護の神・山城国一之宮として、桓武天皇を初めとする歴代天皇が行幸・奉幣祈願されたと言われています。807年(大同2年)に最高位である神階・正一位を賜って、葵祭(賀茂祭)が勅祭になり、810年(大同5年)には賀茂斎院が置かれ、第52代・嵯峨天皇の皇女・有智子内親王(うちこないしんのう)が初代斎王として仕え、以降歴代斎王が葵祭に奉仕しました。上賀茂神社は明治時代から戦後まで伊勢神宮に次ぐ、官幣大社の筆頭とされました。
上賀茂神社は下鴨神社(賀茂御祖神社)とともに古代氏族・賀茂氏の氏神を祀る神社です。
*参考・・・上賀茂神社(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【上賀茂神社紀州梅道中 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
画像は下鴨神社で撮影したものです。
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