松尾大社(月読神社・西七条御旅所・・・)
松尾大社
松尾大社を観光するなら歴史的に関係が深い松尾大社の摂社である月読神社(つきよみじんじゃ)や御旅所である西七条御旅所(にししちじょうおたびしょ)・衣手神社(ころもでじんじゃ)・朱雀御旅所(すじゃくおたびしょ)も一緒に回るのもいいかもしれません。ただ西七条御旅所・衣手神社・朱雀御旅所は松尾大社から距離がある為、拝観には注意が必要になります。なお松尾大社では松尾祭(まつおさい)などが行われ、行事も一緒に見るのもいいかもしれません。
【松尾大社・摂社・御旅所 基本情報】
松尾大社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
松尾大社の摂社・月読神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
松尾大社の御旅所・西七条御旅所(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
松尾大社の御旅所・衣手神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
松尾大社の御旅所・朱雀御旅所(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
【松尾大社・摂社・御旅所 マップ・地図】
【松尾大社 歴史・簡単概要】
松尾大社(まつのおたいしゃ・まつおたいしゃ)は起源が明確ではありません。松尾大社は太古の昔、松尾山の山霊を頂上に近い大杉谷の上部の磐座(いわくら)に生活の守護神として祭神・大山咋神(おおやまぐいのかみ)を祀ったのが起源とも言われています。その後5世紀頃に秦の始皇帝の子孫と称する渡来系氏族・秦氏(はたうじ)が松尾山の神を秦氏一族の総氏神として祀り、開拓に従事したとも言われています。701年(大宝元年)に秦忌寸都理(はたのいみきとり)が文武天皇の勅命によって現在の場所に社殿を造営し、知満留女(ちまるめ)を斎女として松尾山山上の磐座に祀られていた神霊を社殿に移して祀りました。その後794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都後、東の賀茂社(上賀茂神社(賀茂別雷神社)・下鴨神社(賀茂御祖神社))とともに「東の厳神・西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置付けられました。承和年間(834年~847年)に神階・従三位、852年(仁寿2年)に神階・正二位、859年(貞観元年)に神階・正一位に叙され、その後に勲一等に叙せられました。その後「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」では名神大社とされ、明神二十二社・上七社では第4位に記されました。なお松尾大社は大山咋神・中津島姫命(なかつしまひめのみこと・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を主祭神に祀っています。
*参考・・・京都・松尾大社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【月読神社 歴史・簡単概要】
月読神社(つきよみじんじゃ)は日本書紀によると487年(顕宗天皇3年)阿閉巨事代(あべのおみことしろ)への月神の神託を受け、顕宗天皇の勅命により、壱岐県主祖・押見宿禰が山城葛野郡に天月神命(あめのつきのかみ)を祀ったのが起源と言われています。その後856年(斉衡3年)桂川の氾濫よって現在の場所に移ったとも言われています。明治維新後の廃仏毀釈によって神宮寺が廃寺になり、本尊・薬師如来像は両讃寺に移されました。1878年(明治11年)に松尾大社(まつのおたいしゃ)の摂社になり、1893年(明治26年)に現在の社殿が再建され、1999年(平成11年)に本殿が改修されました。なお松尾大社は太古の昔、松尾山の山霊を頂上に近い大杉谷の上部の磐座(いわくら)に祀ったのが起源と言われています。
月読神社は松尾大社の境外摂社です。
*参考・・・月読神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【松尾大社西七条御旅所 歴史・簡単概要】
松尾大社西七条御旅所(まつのおたいしゃにししちじょうおたびしょ)は起源が明確ではありません。松尾大社の松尾祭(まつおさい)が貞観年間(859年~877年)に始まり、1109年(天仁2年)の年中行事秘抄(ねんちゅうぎょうじひしょう)に松尾稲荷共御旅所と記されていることからその頃には既にあったと言われています。西七条にはかつて3ヶ所の御旅所があったが、明治時代に松尾大社西七条御旅所にまとめられたそうです。また西七条御旅所はかつて北側にある西蓮寺(さいれんじ)と同じ境内地にあったそうです。なお松尾大社(まつのおたいしゃ・まつおたいしゃ)は太古の昔、松尾山の山霊を頂上に近い大杉谷の上部の磐座(いわくら)に祀ったのが起源と言われています。
【衣手神社 歴史・簡単概要】
衣手神社(ころもでじんじゃ)・衣手社は起源が明確ではありません。衣手神社はかつて郡村(こおりむら)の産土神であった三宮神社が祀られていた場所でした。その後1679年(延宝7年)に現在の本殿が再建され、1852年(嘉永5年)に現在の拝殿が建立されました。1875年(明治8年)に松尾大社の境内末社・衣手社(羽山戸神)を合祀し、衣手社の神輿を奉安する御旅所になり、1878年(明治11年)には名称を衣手神社に改めました。なお衣手神社は玉依姫命(たまよりひめのみこと)・羽山戸神(はやまとのかみ)を祀っています。
衣手神社は松尾大社の境外末社です。
*参考・・・衣手神社
【松尾大社朱雀御旅所 歴史・簡単概要】
松尾大社朱雀御旅所(まつのおたいしゃすじゃくおたびしょ)・松尾神社朱雀御旅所は起源が明確ではありません。松尾大社の松尾祭(まつおさい)が貞観年間(859年~877年)に始まり、朱雀御旅所は近くの西七条村にあった御旅所(現在の松尾大社西七条御旅所)とともにその頃には既にあったとも言われています。また江戸時代に朱雀村に惣神社・神供場が祀られていたとも記され、朱雀御旅所はその頃には既にあったとも言われています。ちなみに御旅所は神幸祭から還幸祭までの期間、神輿を奉安する場所です。なお松尾大社朱雀御旅所は松尾総神社とも言われ、祭神・月読尊(つきよみのみこと)を祀っています。
【松尾大社松尾祭 歴史・簡単概要】
松尾大社松尾祭(まつおさい)はかつて松尾の国祭とも言われ、3月中卯日に出御、4月上酉日に還御が行われていたが、明治時代に4月下卯日に出御、5月上酉日に還御に変更され、1961年(昭和36年)以降は現在の日程で行われるようになりました。松尾祭はかつて葵祭とも言われていたそうです。神幸祭(しんこうさい)では月読社の唐櫃と大宮社・櫟谷社・宗像社・四之社・衣手社・三宮社の6基の神輿が衣手神社(衣手社御旅所)・三宮神社(三宮社御旅所)・西七条御旅所に向かいます。還幸祭(かんこうさい)では3つの御旅所に駐輿されていた唐櫃と6基の神輿が西寺跡の旭の杜に集合し、朱雀御旅所を経由し、松尾大社に戻ります。なお松尾祭は4月20日以降の日曜日に神幸祭、3週間後の日曜日に還幸祭が行われています。
【松尾祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
松尾大社見どころ(本殿・拝殿など)
松尾大社松尾祭