葵祭コース(京都御所・下鴨神社・上賀茂神社)

葵祭(Aoi Matsuri Festival)

葵祭コース

葵祭コースをGoogleマップで紹介しています。葵祭コースは京都御所・下鴨神社・上賀茂神社までの約8キロです。葵祭では下鴨神社と上賀茂神社で社頭の儀を行う為、午前中に京都御所から下鴨神社、午後に下鴨神社から上賀茂神社までの葵祭コースを勅使・斎王代などの行列が巡行します。

★葵祭2025の最新情報

【葵祭日程(要確認)】
葵祭・路頭の儀は例年5月15日に行われます。ただ悪天候の場合、翌16日に順延されます。
葵祭2025日程(時代行列・流鏑馬神事・・・)

【葵祭コース マップ・地図】


●京都御所出発(10:30)→堺町御門→丸太町通(11:00頃)→河原町通→下鴨神社到着(11:40頃)
●下鴨神社出発(14:20)→下鴨本通→洛北高校前(14:40頃)→北大路通→北大路橋(14:55頃)→賀茂川堤→上賀茂神社到着(15:30頃)
葵祭路頭の儀

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【京都御所・出発地】

京都御所は葵祭コースの出発地です。葵祭の行列は京都御所・建礼門前から出発します。なお京都御所ではかつて葵祭・宮中の儀が行われていました。
京都御所(きょうとごしょ)は794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都の際、内裏に代わる臨時の里内裏・土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)があった場所です。ちなみに平安京遷都時の内裏は現在の京都御所から西約1.7キロの千本通(平安京の朱雀大路)沿いにあったが、失火や政変による火災によって度々焼失し、1227年(安貞元年)の火災ではほぼ焼失したと言われ、その後再建されることはありませんでした。その後南北朝時代に第96代・後醍醐天皇が京都を逃れ、光厳天皇が北朝初代天皇になると土御門東洞院殿は北朝の内裏に定着し、1392年(明徳3年)の南北朝の合一以後は正式な御所になりました。室町時代に室町幕府3代将軍・足利義満が敷地を拡大し、織田信長や関白・豊臣秀吉が整備しました。しかしその後度々焼失し、その都度再建されたり、建て替えられたりし、1855年(安政2年)に現在の内裏が再建されました。なお明治維新後の東京遷都により、京都御所は京都皇宮(きょうとこうぐう)と言われるようになりました。
●京都御苑(建礼門前南側)では葵祭コース上で、下鴨神社の参道とともに有料観覧席が設けられます。
京都御所(アクセス・マップ・・・)京都御苑歴史

【京都御所~下鴨神社】
京都御所から下鴨神社までは丸太町通・河原町通などを通ります。

【下鴨神社・中継地】

下鴨神社は葵祭コースの中継地です。葵祭の行列は下鴨神社到着後に葵祭の中心的行事である葵祭・社頭の儀が行われます。
下鴨神社(しもがもじんじゃ)・賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は起源が明確ではありません。下鴨神社は社伝によると初代・神武天皇の時代(紀元前660年~紀元前582年)に祭神・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が比叡山西麓の御蔭山(みかげやま)に降臨したのが起源とも言われています。また下鴨神社は紀元前90年(崇神天皇7年)に瑞垣(みずかき)の修造の記録があり、それ以前から祀られていたとも言われています。その後第29代・欽明天皇の時代(539年~571年)に欽明天皇が勅使を派遣して葵祭(賀茂祭)が始まり、678年(天武天皇7年)に社殿が造営され、天平年間(729年~749年)には上賀茂神社から分置されたとも言われています。794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都の際、王城鎮護の神になり、桓武天皇が初めて行幸しました。その後807年(大同2年)に神階・正一位に叙され、葵祭で天皇の勅使が派遣されて行われる勅祭になり、810年(大同5年)には葵祭に奉仕する賀茂斎院(かもさいいん)が置かれ、第52代・嵯峨天皇の皇女・有智子内親王(うちこないしんのう)が初代斎王として仕えました。
●下鴨神社の参道では葵祭コース上で、京都御苑(建礼門前南側)とともに有料観覧席が設けられます。
下鴨神社(アクセス・マップ・・・)下鴨神社歴史

【下鴨神社~上賀茂神社】
下鴨神社から上賀茂神社までは下鴨本通・北大路通・賀茂川堤などを通ります。

【上賀茂神社・到着地】

上賀茂神社は葵祭コースの到着地です。葵祭の行列は上賀茂神社到着後に葵祭の中心的行事である葵祭・社頭の儀が行われます。
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は起源が明確ではありません。上賀茂神社は社伝によると神代の昔に賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が現社殿の北北西にある秀峰・神山(こうやま)に降臨したのが起源とも言われています。その後677年(天武天皇6年)に賀茂神宮が造営されたとも言われています。794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都以降は皇城鎮護の神・山城国一之宮として、桓武天皇を初めとする歴代天皇が行幸・奉幣祈願されたと言われています。807年(大同2年)に最高位である神階・正一位を賜って、葵祭(賀茂祭)が勅祭になり、810年(大同5年)には賀茂斎院が置かれ、第52代・嵯峨天皇の皇女・有智子内親王(うちこないしんのう)が初代斎王として仕え、以降歴代斎王が葵祭に奉仕しました。上賀茂神社は明治時代から戦後まで伊勢神宮に次ぐ、官幣大社の筆頭とされました。
上賀茂神社(アクセス・マップ・・・)上賀茂神社歴史

【葵祭 簡単概要】

葵祭(あおいまつり)・賀茂祭(かもまつり)は古墳時代後期・欽明天皇の時代(539年~571年)、京都を含め日本国内が風水害に見舞われ、飢餓疫病が流行した為、賀茂の大神の崇敬者であった卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に占わせられたところ、賀茂大神の祟りであると奏したことにより、4月吉日を選んで、馬に鈴を懸け、人は猪頭(いのがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)して、盛大に祭りを行ったことが起源です。なお葵祭とは俗称で、正式名称には賀茂祭(かもまつり)だが、祭儀に関わる人や社殿の御簾(みす)・牛車に至るまで二葉葵を桂の小枝に挿し飾ることから葵祭と言われています。
葵祭歴史

【葵祭コース 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
葵祭日程(路頭の儀・前儀・後儀・・・)

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