毘沙門堂節分会2025年2月2日(大般若転読厄除祈願法要)
毘沙門堂節分会
毘沙門堂節分会(日程・時間・・・)を紹介しています。節分会は例年節分(立春の前日)に行われています。節分会では先ず旧暦の正月を迎えるにあたり、大般若転読厄除祈願法要を行い、良き一年や厄除けを祈願します。その後招いたゲストなどによる厄払いの豆撒きが行われます。豆撒き終了後、福引きに無料で参加できるそうです。(要確認)(詳細下記参照)
【毘沙門堂節分会2025 日程時間(要確認)】
毘沙門堂節分会2025は2025年(令和7年)2月2日(日曜日)13:00から行われます。13:00から大般若転読厄除祈願法要、14:00から豆まきが行われます。
*参考・・・毘沙門堂ホームページ
●京都の寺院・神社では節分・豆まきなどの行事が行われています。
京都節分・豆まき2025
【毘沙門堂節分会 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市山科区安朱稲荷山町18
最寄り駅・バス停・・・山科駅(徒歩約20分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からはJR東海道本線
*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は山科駅(徒歩約20分)
【毘沙門堂節分会 歴史・簡単概要】
毘沙門堂節分会(せつぶんえ)は例年節分(立春の前日)に行われています。(節分は毎年2月3日ではなく、変動する場合があります。)節分会では厄除け・招福を祈願します。
節分会では先ず旧暦の正月を迎えるにあたり、大般若転読厄除祈願法要(だいはんにゃてんどくやくよけきがんほうよう)を行い、良き一年や厄除けを祈願します。その後招いたゲストなどによる厄払いの豆撒きが行われます。豆撒き終了後、福引きに無料で参加できるそうです。(要確認)
- 節分は元々季節が変わる節目で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を差していたが、江戸時代以降は立春の前日だけを指す場合が多くなりました。節分には邪気悪霊(鬼)が外から入ってくるのを防ぐ為、「鬼は外・福は内」と言いながら福豆を撒き、年の数だけ福豆を食べて厄除けをします。豆撒きは平安時代中期に鞍馬山の鬼が都を荒らしたことから毘沙門天のお告げにより、鬼の穴を祈祷で封じ、鬼の目を炒り豆で打ちつぶしたということに由来しています。豆などの穀物には魔除けの呪力や生命力を持つという穀霊が宿っているとも言われています。豆は鬼の目を表す「魔目(まめ)」から鬼を滅する「魔滅」を意味するようになったそうです。
- 大般若転読では大般若経600巻を僧侶が転読という速読法を使い、短時間に読み上げます。転読では経巻を傾けながらぱらぱらと落とし、経題など大声で読み上げます。なお転読によって起こる梵風(ぼんぷう)は一切の災いを除くとも言われています。
- 大般若経(大般若波羅蜜多経・だいはんにゃはらみったきょう)は630年頃に三蔵法師玄奘(さんぞうほうしげんじょう)がインドから中国に持ち帰り、663年に漢訳して作り上げた経典です。大般若経は全16部(会)・600巻・字数500万字にも及びます。
【毘沙門堂 歴史・簡単概要】
毘沙門堂は寺伝によると703年(大宝3年)に僧・行基が第42代・文武天皇の勅願により、護法山出雲寺を上京区出雲路に創建したのが起源と言われています。その後794年(延暦13年)の平安京遷都後の795年(延暦14年)に第50代・桓武天皇が行幸し、天台宗の宗祖である伝教大師・最澄が自ら刻んだ毘沙門天を奉献したと言われています。1160年(平治元年)の平治の乱で焼失して荒廃したが、鎌倉時代初期に平親範が平家ゆかりの3つの寺院(平等寺・尊重寺・護法寺)を合寺して再興しました。その後度々移ったり、応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))などで焼失したりしました。1665年(寛文5年)に天海大僧正とその弟子・公海大僧正が現在の場所に再興し、その後第111代・後西天皇の皇子・公弁法親王が入寺して門跡寺院になりました。
*参考・・・毘沙門堂(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【毘沙門堂節分会 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
節分会では甘酒の接待も行われます。(要確認)
毘沙門堂(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報