疫神社(アクセス・見どころ・・・)八坂神社

疫神社(八坂神社)疫神社祭

疫神社

疫神社(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。疫神社では7月31日に祇園祭を締めくくる最後の行事である夏越祭(なごしさい)が行われ、鳥居にはくぐると厄除けのご利益があると言われている大きな茅の輪(ちのわ)が設置されます。

【疫神社 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区祇園町北側625番地
最寄り駅・バス停・・・祇園(徒歩すぐ)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から疫神社は100系統(D1乗り場)、110系統(D1乗り場)、206系統(D2乗り場)
*四条河原町・四条烏丸・四条堀川・四条大宮からは46系統、201系統、203系統、207系統
*河原町丸太町・烏丸丸太町・堀川丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック

*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は祇園四条駅(徒歩約5分)
*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は京都河原町駅(徒歩約8分)

【疫神社 拝観時間・時間(要確認)】
24時間
年中無休

【疫神社 拝観料金・料金(要確認)】
無料

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【疫神社 歴史・簡単概要】
疫神社(えきじんじゃ)は起源が明確ではありません。疫神社はかつて絵馬舎(えましゃ)近くにあったが、1913年(大正2年)に現在の場所に移されました。疫神社は祭神・蘇民将来(そみんしょうらい)を祀り、疫病除けのご利益があると言われています。蘇民将来には伝承が残されています。八坂神社の祭神・牛頭天王(ごずてんのう・素戔嗚尊(すさのおのみこと))は体は人だが、頭には牛のような角が生えていたことから后になる者はいなかった。しかし鳥のお告げから后を求めて旅に出た際、富豪の巨端将来(こたんしょうらい)は宿を断り、貧しい蘇民将来は粟の粥で快くもてなしました。その後牛頭天王は竜女と結ばれ、巨端将来には罰を与えて一族を滅ぼし、蘇民将来とその子孫には疫病の難から逃れる終生の加護を約束しました。この伝承が祇園祭の粽(ちまき)の護符・蘇民将来之子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)の由来と言われています。
疫神社は八坂神社の摂社です。

【八坂神社 歴史・簡単概要】
八坂神社(やさかじんじゃ)は起源が明確ではありません。八坂神社は656年(斉明天皇2年)に高麗(高句麗)から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)が新羅・牛頭山に座した素戔嗚尊(すさのおのみこと)=牛頭天王(ごずてんのう)を山城八坂郷に奉斎したのが起源とも、876年(貞観18年)に南都(奈良)の僧・円如(えんにょ)が堂(観慶寺)を建立して薬師千手等の像を奉安し、その後天神(祇園神)が東山の麓・祇園林に垂跡(すいじゃく)したのが起源とも言われています。また829年(天長6年)に参議・紀百継(きのももつぐ)が山城八坂郷丘一処を賜り、神の祭祀を行ったのが感神院(かんしんいん)の起源とも言われています。
八坂神社は全国の八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする神社の総本社です。
八坂神社歴史年表
*参考・・・京都・八坂神社(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ

【疫神社 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
疫神社の見どころは鳥居です。鳥居には扁額(へんがく)がなく、疫神社の文字が石に直接刻まれています。また祇園祭の夏越祭(なごしさい)の際、鳥居に設置される茅の輪(ちのわ)も見どころです。
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八坂神社見どころ(本殿・西楼門など)

【疫神社 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・+81-75-561-6155

【疫神社 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
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*京都バスの場合、京都駅からは17系統(C3乗り場)、最寄りのバス停は四条河原町(徒歩約10分)
京都バス・アクセスダイヤ

【疫神社 おすすめ散策ルート】
疫神社からのおすすめ散策ルートは八坂神社・ねねの道・二年坂・三年坂を経由し、清水寺に向かうルートです。30分ほど散策すれば、世界遺産である清水寺に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なおルートの周辺には祇園・高台寺・京都霊山護国神社・八坂の塔(法観寺)などもあり、それらを散策しながらから清水寺に向かうのもいいかもしれません。

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