伏見万灯流し/8/(日程時間・・・)

伏見万灯流し

伏見万灯流し(日程・時間・・・)を紹介しています。伏見万灯流しは例年8月上旬頃の土曜日に行われています。1868年(明治元年)の鳥羽伏見の戦いでの犠牲者の慰霊とお盆の先祖供養・家内安全の為、寺田屋浜から伏見城の外堀である濠川(ほりかわ)に数千基の灯ろうが流されます。なお献灯することもできます。(要確認)(詳細下記参照)

【伏見万灯流し2020 日程時間(要確認)】
●現在情報更新待ちです。

伏見万灯流し2019は2019年(令和元年)8月10日(土曜日)18:30から行われます。

【伏見万灯流し・寺田屋浜(伏見三十石船乗り場) アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市伏見区
最寄り駅・バス停・・・中書島駅(徒歩約5分)、伏見桃山駅(徒歩約10分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京阪電鉄本線

*近鉄京都線の場合、最寄り駅は桃山御陵前駅(徒歩約10分)
*JR奈良線の場合、最寄り駅は桃山駅(徒歩約18分)

長建寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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【伏見万灯流し 歴史・簡単概要】
寺田屋浜伏見万灯流し(ふしみまんとうながし)は2004年(平成16年)に1868年(明治元年)の鳥羽伏見の戦いでの犠牲者を慰霊する為に始まりました。
伏見万灯流しでは先ず長建寺の住職による法要が行われ、その後鳥羽伏見の戦いでの犠牲者の慰霊とお盆の先祖供養・家内安全の為、寺田屋浜から1592年(天正20年)に関白・豊臣秀吉が築城した伏見城の外堀である濠川(ほりかわ)に数千基の灯ろうが流されます。
鳥羽伏見の戦いは1868年(明治元年)1月27日に勃発し、明治新政府軍と旧幕府軍が戦った戊辰戦争(ぼしんせんそう)の緒戦になりました。鳥羽伏見の戦いでは会津藩・桑名藩などの旧幕府軍約1万5千人と薩摩藩・長州藩などの明治新政府軍約5千人が戦ったが、装備と士気に勝る明治新政府軍が旧幕府軍を退却させ、大坂城にいた江戸幕府15代将軍・徳川慶喜は海路で江戸に戻りました。なお鳥羽伏見の戦いでは明治新政府軍約110人、旧幕府軍約280人が戦死したとも言われています。
寺田屋浜は坂本龍馬ゆかりの寺田屋近くにあり、かつては三十石船の船着場があったそうです。なお寺田屋は1866年(慶応2年)3月9日、坂本龍馬が伏見奉行・林肥後守忠交の捕方に襲われたが、風呂に入っていたお龍の機転により、左右の親指に負傷はしたが、難を逃れた船宿です。
*参考・・・伏見大手筋商店街facebook

【長建寺 歴史・簡単概要】
長建寺(ちょうけんじ)は1699年(元禄12年)伏見奉行・建部政宇(たけべまさのき)が壕川を開拓する際、深草大亀谷の即成就院(そくじやうじゆいん)の塔頭・多門院を分離したのが起源です。その為長建寺の名称は建部姓の「建」一字と長寿の願いの「長」が由来になっています。なお即成就院(即成院)は992年(正暦3年)恵心僧都(えしんそうず)・源信(げんしん)が伏見に建立した光明院が起源とも、寛治年間に藤原頼通の子・橘俊綱が伏見山の山荘に阿弥陀如来・二十五菩薩像を安置したのが起源とも言われています。
長建寺は真言宗醍醐派の寺院です。
*参考・・・長建寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【伏見万灯流し 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
伏見万灯流しでは献灯することもできます。(要確認)
寺田屋(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
京都8月のイベント・行事

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