京都五山(南禅寺・天龍寺・相国寺・建仁寺・・・)

南禅寺見どころ

京都五山

京都五山(きょうとござん)は京都の禅宗(臨済宗)の寺格を定めた官寺制度です。五山制度は鎌倉時代末期に南宋(中国)を手本に導入され、禅宗を篤く信仰した室町幕府3代将軍・足利義満が1386年(至徳3年)に京都五山と鎌倉五山に分割して寺格を定めました。なお京都五山の寺格は別格が南禅寺・第一位が天龍寺・第二位が相国寺・第三位が建仁寺・第四位が東福寺・第五位が万寿寺です。ただ1382年(永徳2年)に相国寺を開基(創建)した義満の政治力により、相国寺が第一位・天龍寺が第二位になった時期はあったが、義満没後の1410年(応永17年)に元に戻されました。

【南禅寺 歴史・簡単概要】
南禅寺(なんぜんじ)は僧・道智が創建した園城寺(三井寺)の別院・最勝光院があった場所でした。1264年(文永元年)後嵯峨天皇が母の大宮院御所として、離宮・禅林寺殿(ぜんりんじどの)を造営したと言われています。禅林寺殿には上の御所と下の御所があり、1287年(弘安10年)上の御所に持仏堂を建立したのが南禅寺発祥の地と言われる南禅院(南禅寺の別院寺院)の起源です。その後1289年(正応2年)亀山上皇が了遍僧正の戒師により、落飾(出家)して法皇になりました。1291年(正応4年)亀山法皇が大明国師(だいみょうこくし)・無関普門(むかんふもん)を開山として、離宮・禅林寺殿を寺に改め、龍安山禅林禅寺と名付けました。南禅寺は皇室発願の最初の禅寺になりました。
京都・南禅寺南禅寺見どころ(水路閣・三門など)

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【天龍寺 歴史・簡単概要】
天龍寺(てんりゅうじ)は承和年間(834年~847年)に嵯峨天皇の皇后・檀林皇后(だんりんこうごう)・橘嘉智子(たちばなのかちこ)が創建した日本最初の禅寺・壇林寺(だんりんじ)があった場所でした。その後は醍醐天皇の皇子・前中書王兼明親王(さきのちゅうしょおうかねあきらしんのう)の亀山の山荘、嵯峨上皇の仙洞御所、亀山上皇の離宮・亀山殿(かめやまどの)が造営されました。1335年(建武2年)南朝初代・後醍醐天皇が亀山殿内に臨川寺(りんせんじ)を建立したが、その後1339年(延元4年・暦応2年)に吉野・金輪王寺で亡くなります。1339年(延元4年・暦応2年)室町幕府初代将軍・足利尊氏が後醍醐天皇を弔う為に夢窓国師(むそうこくし)・夢窓疎石(むそうそせき)を開山として、離宮・亀山殿を天龍寺に改めて創建しました。
天龍寺天龍寺見どころ(庭園・法堂など)

【相国寺 歴史・簡単概要】
相国寺(しょうこくじ)は1382年(永徳2年)に室町幕府3代将軍・足利義満が室町第(むろまちだい)・花の御所の東に一大禅宗伽藍を建立することを発願したのが起源です。義満は禅の師・春屋妙葩(しゅんおくみょうは)に開山を要請したが、春屋妙葩が固辞したことから春屋妙葩の師・夢窓国師(むそうこくし)・夢窓疎石(むそうそせき)が開山になり、万年山承天相国寺と名付けたと言われています。その後1383年(弘和3年)僧・義堂周信(ぎどうしゅうしん)の勧めにより、名称を万年山承天相国寺から相国承天禅寺に改めたと言われています。ただ1384年(元中元年)には更に万年山相国承天に改められたとも言われています。
相国寺

【建仁寺 歴史・簡単概要】
建仁寺(けんにんじ)は1202年(建仁2年)に鎌倉幕府2代将軍・源頼家(みなもとのよりいえ)が寺域を寄進し、臨済宗の宗祖・栄西禅師(えいさいぜんじ・ようさいぜんじ)が宋・百丈山(ひゃくじょうざん)を模して創建しました。名称は土御門天皇の勅許により、禅寺初の年号寺院・建仁寺になりました。建仁寺は当初天台・密教・禅の三宗兼学の道場でした。その後1262年(弘長2年)宋からの渡来僧禅・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺し、三宗兼学から禅の道場に改め、1265年(文永2年)には名称を建仁寺から建寧寺に改めたと言われています。
建仁寺

【東福寺 歴史・簡単概要】
東福寺(とうふくじ)は924年(延長2年)公卿・藤原忠平(ふじわらのただひら)が創建した藤原氏の氏寺・法性寺(ほっしょうじ)があった場所でした。法性寺は天台宗の寺院だったそうです。その後1236年(嘉禎2年)摂政・九条道家(くじょうみちいえ)が祖父・兼実(かねざね)の菩提寺として、高さ5丈(約15メートル)の釈迦像を安置する寺院を建立することを発願し、仏殿を建立しました。名称は奈良の東大寺と興福寺から1字ずつ取り、「東福寺」になり、宋から帰国した円爾(えんに)が開山になりました。
京都・東福寺東福寺見どころ(三門・通天橋など)

【万寿寺 歴史・簡単概要】
万寿寺(まんじゅじ)は1096年(永長元年)白河上皇が六条内裏内に建立した六条御堂が起源と言われています。白河上皇は長女・郁芳門院の追善の為に仏堂の六条御堂に改めました。その後度々焼失し、鎌倉時代に十地覚空と弟子・慈一宝覚が東福寺・円爾に帰依し、六条御堂を万寿禅寺に改めました。1273年(文永10年)に焼失し、1330年(元徳2年)後宇多院の皇女・崇明門院から土地を賜って移りました。ただその後も焼失したり、衰退したりして天正年間に東福寺山内の三聖寺に移ったが、豊臣秀吉の命によって再び移りました。1873年(明治6年)三聖寺が廃寺にされ、名称を万寿寺に改めました。
万寿寺

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