京都三大奇祭(やすらい祭・鞍馬の火祭・牛祭)

今宮神社やすらい祭

京都三大奇祭(やすらい祭・鞍馬の火祭・牛祭)

京都三大奇祭は今宮神社のやすらい祭・由岐神社の鞍馬の火祭・広隆寺(大酒神社)の牛祭です。やすらい祭は例年4月の第2日曜日、鞍馬の火祭は例年10月22日に行われます。牛祭は牛の調達の問題から不定期に行われていたが、現在休止中です。(要確認)

【やすらい祭 歴史・簡単概要】

やすらい祭(やすらいまつり)は今宮神社の祭礼です。やすらい祭は春に花とともに流行する疫神を鎮める為、桜の花が散る頃に行われます。疫神は花の精に煽られていたずらをして回ることからやすらい踊りにより、疫神を花傘に惹き寄せ、疫社で疫病退散(無病息災)を祈願します。 やすらい祭では「花傘に入ると1年間健やかに過ごせる」とか、「生まれたばかりの赤ん坊が花傘に入ると一生健やかに過ごせる」とかと言われています。なおやすらい祭は「夜須礼(やすらい)」・「鎮花祭」・「やすらい花」とも言われています。
今宮神社やすらい祭やすらい祭(今宮神社・川上大神宮社・玄武神社・上賀茂)
今宮神社は794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都前から疫病鎮めの為の疫神を祀っていた場所です。994年(正暦5年)に疫病が流行し、悪疫退散を祈願する為、御輿2基を造って船岡山に安置した紫野御霊会が今宮祭の起源と言われています。またその時老若男女が船岡山に登り、綾傘に風流を施して囃子に合わせて唱い踊り、病魔の依れる人形を難波江に流したのがやすらい祭の起源と言われています。今宮神社は1001年(長保3年)に再び疫病が流行し、朝廷が疫神を船岡山から現在の場所に遷し、神殿を建立して今宮社と名付けたのが起源と言われています。
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【鞍馬の火祭 歴史・簡単概要】

鞍馬の火祭(くらまのひまつり)は由岐神社の祭礼です。鞍馬の火祭は地震や天慶の乱を鎮める為、940年(天慶3年)に第61代・朱雀天皇の勅により、宮中に祀られていた祭神を北方鎮護として鞍馬に遷し、それを村人がかがり火を持って迎えたことが起源と言われています。かがり火には鴨川に生えていた葦が使われ、長さ1キロにも及んだとも言われています。鞍馬の火祭は「神事にまいらっしゃれ」の合図で、家々に積み重ねられた篝(エジ)に点火され、小松明の少年が練り歩き、大松明を担いだ青年が加わり、「サイレイ、サイリョウ」と囃し立てながら始まります。その後神輿2基が由岐神社から御旅所に移され、お神楽が奉納され、神楽松明が境内を回って神幸祭が終了します。翌日早朝神輿2基が御旅所から由岐神社に戻り、還幸祭が終了します。
由岐神社鞍馬の火祭
由岐神社は938年(天慶元年)に大地震、939年(天慶2年)に平将門の乱が起こり、940年(天慶3年)に第61代・朱雀天皇の勅により、天下泰平・万民幸福の祈念の為に宮中に祀られてた由岐大明神(大己貴命・少彦名命)を北方鎮護・鞍馬一帯の産土神として遷したのが起源です。その後鞍馬寺の鎮守社になったが、鎌倉時代(1185年~1333年)に衰微したと言われています。1607年(慶長12年)に関白・豊臣秀吉の子・豊臣秀頼が本殿・拝殿を再建しました。1814年(文化11年)に鞍馬寺が火災で焼失し、鞍馬山頂に祀られていた八所神社が相殿に合祀されました。
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【牛祭 歴史・簡単概要】

牛祭(うしまつり)はかつて広隆寺の境内社・大酒神社の祭礼として行われていたが、その後広隆寺の祭礼として行われるようになりました。牛祭はかつて旧暦の9月12日に行われ、明治時代の新暦移行に伴って新暦の10月12日に行われるようになりました。その後牛の調達の問題から不定期に行われていたが、現在は休止中です。牛祭は恵心僧都・源信が阿弥陀如来を拝する願いを抱き、夢告によって三尊像を彫り、常行念仏堂を建立し、勧請した摩多羅神に国家安泰・五穀豊穣を祈願したのが起源と言われています。牛祭では異様な面を付け、牛に乗った摩多羅神と四天王と言われる赤鬼・青鬼が祖師堂の前で奇妙な節を付けて祭文を読み、参拝者が悪口を言って、五穀豊穣・悪魔退散などを祈願します。
広隆寺牛祭
広隆寺は603年(推古天皇11年)に渡来人氏族・秦河勝が聖徳太子から賜った仏像・弥勒菩薩を本尊として創建し、蜂岡寺と称したのが起源とも、622年(推古天皇30年)に聖徳太子が亡くなり、聖徳太子の供養の為に創建され、葛野秦寺と言われたのが起源とも言われています。広隆寺は京都最古の寺院と言われています。
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大酒神社は伝承によると古墳時代(3世紀中頃~7世紀頃)に秦の始皇帝の子孫・功満王が始皇帝の神霊を勧請したのが起源とも言われています。603年(推古天皇11年)に渡来人氏族・秦河勝が広隆寺を創建すると桂宮院に鎮守の社として祀られたとも言われています。その後大酒明神とも言われるようになりました。
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【京都三大奇祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。

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