祇園甲部初寄り1/13(日程時間・・・)

花街初寄り

花街初寄り(日程・時間・・・)を紹介しています。花街初寄りは例年1月13日に行われています。花街初寄りでは花街・祇園甲部の舞妓さん・芸妓さん・仕込みさんなどが京舞井上流(きょうまいいのうえりゅう)の家元宅を訪れ、稽古始めの挨拶を行い、お雑煮・初舞いで新年を祝ったり、今年一年の技芸の精進を誓ったりします。(詳細下記参照)

【花街初寄り 日程時間(要確認)】
花街初寄りは1月13日12:00頃~14:00頃まで行われます。(現在確認中・要注意)

【五花街・祇園甲部 マップ・地図】

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【花街初寄り 歴史・簡単概要】
花街初寄り(はなまちはつより)では祇園甲部の舞妓さん・芸妓さんだけではなく、仕込みさんなどが京舞井上流を習っている者が家元宅を訪れ、稽古始めの挨拶を行い、お雑煮・初舞いで新年を祝ったり、今年一年の技芸の精進を誓ったりします。なお家元は励ましの言葉を掛けるそうです。
井上流(いのうえりゅう)は日本舞踊の流派のひとつで、京都で発展したことから京舞(きょうまい)とも言われています。祇園甲部(祇園甲部歌舞会)が毎年春に開催している都をどりは1872年(明治5年)京都で初めて開催された博覧会の余興として、三代目・井上八千代が伊勢古市の亀の子踊り(伊勢音頭の総踊り)を参考に振付を担当しました。なお京舞井上流は儒者・井上敬助の妹・サト(初代・井上八千代)が近衛家で風流舞を学んだのが起源と言われています。その後初代・井上八千代は寛政年間(1789年~1801年)に近衛家の舞指南役を勤めたそうです。
上方舞(井上流)は京都府の無形文化財(芸能)に指定されています。なお四代・井上八千代と五代・井上八千代はそれぞれ人間国宝です。

【祇園甲部 歴史・簡単概要】
祇園甲部(ぎおんこうぶ)は江戸時代初期に八坂神社の門前で営業していた水茶屋とそこで働く茶点て女が起源と言われています。京都所司代・板倉重宗から茶点て女を置くことが許可され、八坂神社(祇園社)門前の茶屋町を「祇園町」と言うようになりました。
祇園甲部(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【先斗町 歴史・簡単概要】
先斗町(ぽんとちょう)は江戸時代初期に鴨川の州を埋め立て、茶屋や旅籠が置かれたのが始まりと言われています。先斗町の先斗という地名はポルトガル語のponto(先)が語源とも、先斗町が鴨川と高瀬川に挟まれ、2枚の皮に挟まれている鼓に例えられ、鼓の「ポン」と鳴る音に掛けたとも言われています。
先斗町(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【宮川町 歴史・簡単概要】
宮川町(みやがわちょう)は江戸時代に人気になった出雲・阿国(おくに)の歌舞伎踊りの頃から始まりました。当初は遊女などが接待していたが、江戸時代の三大改革によって打撃を受けました。
宮川町(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【祇園東 歴史・簡単概要】
祇園東(ぎおんひがし)は江戸時代初期に八坂神社の門前で営業していた水茶屋とそこで働く茶点て女が起源と言われています。京都所司代・板倉重宗から茶点て女を置くことが許可され、八坂神社(祇園社)門前の茶屋町を「祇園町」と言うようになりました。その後明治時代に祇園甲部から分離独立し、祇園乙部と言われていたが、戦後に祇園東新地、そして祇園東に名称を変更しました。
祇園東(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【上七軒 歴史・簡単概要】
上七軒(かみしちけん)は室町時代に北野天満宮が再建された際、残った資材を使って7軒の茶店が建てられたのが起源とされ、「上七軒」と言われるようになりました。桃山時代に関白・豊臣秀吉が北野大茶湯を開いた際、茶店が団子を献上しました。その後江戸時代に下の森や五番町に茶屋株を貸し、芸妓中心の花街として発展しました。
上七軒(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【花街初寄り2017 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
花街初寄りでは始業式の黒紋付姿と異なり、普段の着物になります。

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