菅大臣神社梅見ごろ2021(3月上旬~下旬頃)

菅大臣神社梅見ごろ

菅大臣神社梅見ごろ(イベント・・・)を紹介。菅大臣神社には境内に飛梅・紅梅・白梅・枝垂梅などが植えられ、梅と本殿・鳥居・灯籠・狛犬などの光景が美しいと言われています。飛梅(紅梅)は本殿前鳥居の左脇に植えられ、下京区民の誇りの木に指定されています。紅梅は比較的遅咲きになります。(詳細下記参照)

【菅大臣神社梅見ごろ(要確認)】
菅大臣神社の梅見ごろは例年3月上旬頃から3月下旬頃です。なお梅の見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都梅見ごろ2021京都梅名所

【菅大臣神社梅見ごろ アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府京都市下京区仏光寺通新町西入菅大臣町187-1
最寄り駅・バス停・・・四条駅(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは地下鉄烏丸線
地下鉄・アクセスダイヤ

*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は烏丸駅(徒歩約7分)

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【菅大臣神社梅見ごろ・梅見どころ】
菅大臣神社はあまり知られていない梅の名所です。菅大臣神社の梅見ごろは例年3月上旬頃から3月下旬頃です。菅大臣神社には境内に飛梅(とびうめ)・紅梅・白梅・枝垂梅などが植えられ、梅と本殿・鳥居・灯籠・狛犬などの光景が美しいと言われています。飛梅(紅梅)は本殿前鳥居の左脇に植えられ、下京区民の誇りの木に指定されています。なお菅大臣神社では白梅・枝垂梅が先に見ごろを迎え、紅梅が比較的遅咲きになります。
祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)は大宰府に左遷される際、こよなく愛した梅・松・桜との別れを惜しみ、紅梅殿で和歌「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな(拾遺和歌集)」を詠みました。和歌は「春の東風が吹き始めたなら梅の木よ、芳しい匂いを漂わせる花を咲かせておくれ。主人は京にいなくとも春の訪れを忘れないで。」という意味だそうです。ちなみに桜は悲しみに暮れ、葉を落として最後には枯れたと言われています。梅と松は菅原道真の後を追ったが、松は途中で力尽き、兵庫須磨で根を下ろしたと言われています。梅は一晩の内に大宰府に飛来し、飛梅伝説が生まれました。
本殿は1869年(明治2年)に1835年(天保6年)建立の下鴨神社(しもがもじんじゃ)の旧殿を移して建立され、その後幣殿と合わせて八棟造に改修されています。
梅は中国原産のバラ科サクラ属の落葉高木です。梅は630年(舒明2年)から838年(承和5年)に派遣された遣唐使(けんとうし)が唐(中国)から日本に伝えたと言われています。梅には500種以上の品種があるが、野梅系(やばいけい)・紅梅系(緋梅系)・豊後系(ぶんごけい)に大きく分類されるそうです。
花見と言うと現在は桜を連想するが、奈良時代には中国から伝わった梅だったそうです。しかし平安時代になると梅から桜に変わり、奈良時代末期頃成立の「万葉集」では梅を読んが和歌が桜よりも多かったが、平安時代前期成立の「古今和歌集」では桜を詠んだ和歌の方が梅よりも多くなります。

【菅大臣神社 歴史・簡単概要】
菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)・菅大臣天満宮(かんだいじんてんまんぐう)は菅原道真(すがわらのみちざね)の邸跡(白梅殿・紅梅殿など)と言われ、産湯の井戸が残されています。菅大臣神社は903年(延喜3年)に菅原道真が左遷された大宰府(だざいふ)で亡くなった直後に創建されたとも言われています。その後度々兵火に見舞われ、鎌倉時代に南北両社に分かれ、南社にあたる菅大臣神社は天神御所・白梅殿社などと言われました。ちなみに北社にあたる北菅大臣神社(きたかんだいじんじんじゃ)は紅梅殿社などと言われました。江戸時代前期の1614年(慶長19年)に菅原氏ゆかりの曼殊院宮良恕法親王(まんしゅいんのみやりょうじょほうしんのう)が再興しました。1788年(天明8年)の天明の大火・1864年(元治元年)の元治の大火で焼失し、1869年(明治2年)に1835年(天保6年)建立の下鴨神社(しもがもじんじゃ)の旧殿を移して現在の本殿が建立され、その後幣殿も建立されました。
*参考・・・菅大臣神社(アクセス・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【菅大臣神社梅見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
菅大臣神社(アクセス・見どころ・・・)情報

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