平等院関白忌2025/3/2(日程時間・・・)

平等院見どころ

平等院関白忌

平等院関白忌(日程・時間・・・)を紹介しています。関白忌は例年3月2日に行われています。関白忌は平等院を1052年(永承7年)に創建した関白・藤原頼通(ふじわらのよりみち)を偲んで、藤原頼通の命日である3月2日(旧暦の2月2日)に行われます。なお関白忌は平等院鳳凰堂(国宝)で行われる唯一の行事とも言われています。(詳細下記参照)

【平等院関白忌2025 日程時間(要確認)】
平等院関白忌2025は2025年(令和7年)3月2日(日曜日)11:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・平等院ホームページ

【平等院関白忌 アクセス・マップ】
場所・・・京都府宇治市宇治蓮華116
最寄り駅・バス停・・・JR宇治駅(徒歩約10分)、京阪宇治駅(徒歩約10分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から平等院はJR奈良線
*祇園四条駅からは京阪電鉄本線・宇治線

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【平等院関白忌 歴史・簡単概要】
平等院関白忌(かんぱくき)は平等院を1052年(永承7年)に創建した関白・藤原頼通(ふじわらのよりみち)を偲んで、頼通の命日である3月2日(旧暦の2月2日)に行われます。
関白忌では平等院を共同で管理し、いずれも平等院の塔頭である浄土院(じょうどいん)・最勝院(さいしょういん)などの僧侶が鳳凰堂(国宝)に入り、花びらを象った青色の散華を撒き、読経します。なお関白忌は鳳凰堂で行われる唯一の行事とも言われています。
藤原頼通(992年~1074年)は御堂関白(みどうかんぱく)と言われた藤原道長の嫡男で、1017年(寛仁元年)に父・藤原道長から第68代・後一条天皇の摂政を譲られ、第69代・後朱雀天皇から第70代・後冷泉天皇の時代には約50年に渡って関白を務め、父とともに摂関政治(藤原氏)の全盛期を築きました。その後1068年(治暦4年)に関白職を弟・藤原教道に譲って平等院に隠棲し、1072年(延久4年)に出家し、1074年(延久6年)に亡くなりました。
浄土院は明応年間(1492年~1500年)に浄土宗の僧・栄久上人(えいくしょうにん)が平等院修復の為に創建したと言われています。
最勝院は1654年(承応3年)住心院の僧が平等院に移り、その庵を最勝院と言ったことが起源と言われています。
●平等院の歴史(創建から現在)を紹介しています。
平等院歴史(藤原道長・藤原頼通)
●平等院の見どころ(鳳凰堂・観音堂など)を紹介しています。
平等院見どころ(鳳凰堂・観音堂など)

【平等院 歴史・簡単概要】
平等院(びょうどういん)は859年(貞観元年)に第52代・嵯峨天皇の皇子で、光源氏のモデルとも言われている左大臣・源融(みなもとのとおる)が造営した別荘があった場所です。その後別荘は第59代・宇多天皇、宇多天皇の孫である源重信、そして関白・藤原道長が源重信の婦人から譲り受けて別荘・宇治殿になりました。平等院は1052年(永承7年)に道長の子である関白・藤原頼通が宇治殿の寝殿を本堂に改め、天台宗の僧・明尊(みょうそん)を開山に藤原氏の氏寺として創建しました。ちなみに1052年(永承7年)は末法初年とされ、お釈迦様の入滅後に徐々に正しい教法が衰滅するという末法思想が貴族などに広がっていたと言われています。その後1053年(天喜元年)に西方極楽浄土を出現させたような鳳凰堂(阿弥陀堂)が建立され、定朝作の阿弥陀如来坐像が安置され、1067年(治暦3年)には第70代・後冷泉天皇が初めて行幸したと言われています。なお平等院は1994年(平成6年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都京都の文化財)のひとつに登録されました。
平等院は特定の宗派に属さない単立の寺院です。
*参考・・・平等院(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ

【平等院関白忌 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
平等院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
京都3月のイベント・行事

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