北野天満宮秋の曲水の宴2025年11月(日程時間・・・)
北野天満宮秋の曲水の宴
北野天満宮秋の曲水の宴(日程・時間・・・)を紹介しています。秋の曲水の宴は例年11月3日に行われています。秋の曲水の宴では祭神・菅原道真を顕彰する為、「和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)」に収録されている詩文が白拍子の舞と朗詠で披露されます。なお秋の曲水の宴では平安装束を身に着けた詠み手が雅やかに平安時代の歌会を再現します。(詳細下記参照)
【北野天満宮秋の曲水の宴2024 日程時間(要確認)】
北野天満宮秋の曲水の宴2024は2024年(令和6年)11月10日(日曜日)15:30から行われます。(雨天順延)(現在確認中・要注意)
*参考・・・北野天満宮ホームページ
【北野天満宮秋の曲水の宴 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町
最寄り駅・バス停・・・北野天満宮前(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から北野天満宮は50系統(B2乗り場)、101系統(B2乗り場)
*四条河原町からは51系統
*四条烏丸からは55系統、101系統、203系統
*河原町丸太町からは10系統
路線・時刻表・運賃チェック
*嵐電(京福電鉄)北野線の場合、最寄り駅は北野白梅町駅(徒歩約7分)
【北野天満宮秋の曲水の宴 歴史・簡単概要】
北野天満宮秋の曲水の宴(あきのきょくすいのうたげ)は祭神・菅原道真ゆかりで、千百年振りに再興されました。道真は第59代・宇多天皇が主催した曲水の宴に度々招かれ、その際に詠まれた詩文が漢詩文集「菅家文草(かんけぶんそう)」に収録されているそうです。ちなみに菅家文草は道真が第60代・醍醐天皇に献上したものだそうです。
秋の曲水の宴では菅原道真を顕彰する為、「和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)」に収録されている詩文「我君一日之沢 萬機之余 曲水雖遙 遺塵雖絶 書巴字而知地勢 思魏文以翫風流」が白拍子の舞と朗詠で披露されます。なお秋の曲水の宴では平安装束を身に着けた詠み手が雅やかに平安時代の歌会を再現します。
曲水の宴は中国・周公の時代に始まり、353年(永和9年)には政治家で、書家・王羲之(おうぎし)が修禊(しうけい)の儀式として行ったことが「蘭亭序(らんていじょ)」に記されているそうです。その後中国から日本に伝わり、485年(顕宗天皇元年)には顕宗天皇(けんぞうてんのう)の前で行われたと「日本書紀」に記されているそうです。奈良時代から平安時代中期までは宮中の年中行事として行われていたが、その後途絶えたそうです。
白拍子の舞は男装姿の遊女などが今様などを歌いながら舞った歌舞の一種です。ちなみに今様は現代風・当世風という意味で、平安時代中期から鎌倉時代に掛けて流行した歌謡です。
菅原道真は845年(承和12年)6月25日(旧暦の8月1日)に平安時代前期の公家・菅原是善(すがわらのこれよし)と母・伴真成の娘の三男として生まれました。幼少の頃から和歌・漢詩に優れ、862年(貞観4年)に文章生試験に合格し、877年(元慶元年)には文章博士・式部少輔になりました。政治家としても手腕を発揮し、899年(昌泰2年)に右大臣に任命されるが、901年(延喜元年)左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言(告げ口)により、太宰府に左遷され、903年(延喜3年)3月25日(旧暦の2月25日)に亡くなりました。
●北野天満宮の歴史(創建から現在)を紹介しています。
北野天満宮歴史(菅原道真・豊臣秀吉・豊臣秀頼)
●北野天満宮の見どころ(本殿・三光門など)を紹介しています。
北野天満宮見どころ(本殿・三光門など)
【北野天満宮 歴史・簡単概要】
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は平安時代中期の947年(天暦元年)に西ノ京に住んでいた多治比文子(たじひのあやこ)・近江(滋賀)比良宮(ひらのみや)の神主である神良種(みわのよしたね)・北野朝日寺(東向観音寺(ひがしむかいかんのんじ))の僧である最珍(さいちん・最鎮)らが神殿を造営し、祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)を祀ったのが起源です。903年(延喜3年)に菅原道真が左遷された大宰府で没し、942年(天慶5年)に多治比文子に宣託があり、947年(天暦元年)には神良種の子・太郎丸に再び託宣があったとも言われています。その後菅原道真の左遷の原因になった左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の甥・藤原師輔(ふじわらのもろすけ)が私邸を寄贈し、大規模な社殿が造営されました。987年(永延元年)に第66代・一条天皇が勅使を派遣して国家の平安を祈願する勅祭が行われ、神号「北野天満宮天神」を賜り、1004年(寛弘元年)には一条天皇が行幸し、その後皇室に崇敬されました。しかし1444年(文安元年)の文安の麹騒動(ぶんあんのこうじそうどう)で室町幕府の攻撃によって焼失して一時衰退しました。1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉が境内で北野大茶会(きたのだいさのえ)を行い、1607年(慶長12年)には秀吉の子・豊臣秀頼が本殿などを造営しました。なお北野天満宮は「文道の大祖・風月の本主」と言われる菅原道真を祀っていることもあり、学問の神として多くの信仰を集めています。
北野天満宮は菅原道真を祀った神社の総本社です。
*参考・・・京都・北野天満宮(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【北野天満宮秋の曲水の宴 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
京都・北野天満宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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