祇園祭古式一里塚松飾式2024/7/14(日程時間・・・)

古式一里塚松飾式

祇園祭古式一里塚松飾式

祇園祭古式一里塚松飾式(日程・時間・・・)を紹介しています。祇園祭古式一里塚松飾式は例年7月14日に行われています。(非公開)古式一里塚松飾式は松原中之町の町会所・祗園床で、長刀鉾稚児などを招いて行われます。なお古式一里塚松飾式は祇園祭の公式行事でないことから長刀鉾稚児は地上を歩いて祗園床を訪れます。(詳細下記参照)

★祇園祭最新情報。

【祇園祭古式一里塚松飾式2024 日程時間(要確認)】

祇園祭古式一里塚松飾式2024は2024年(令和6年)7月14日(日曜日)14:00に行われます。(現在確認中・要注意)
●祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2024日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭古式一里塚松飾式・松原中之町 アクセス・マップ】

場所・・・京都府京都市中京区松原麩屋町西入ル・松原中之町
最寄り駅・バス停・・・河原町松原(徒歩約7分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から松原中之町は50系統(B2乗り場)
*四条河原町からは51系統、203系統
*四条烏丸からは51系統、203系統
*河原町丸太町からは10系統
路線・時刻表・運賃チェック

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【祇園祭古式一里塚松飾式 簡単概要】

祇園祭古式一里塚松飾式(こしきいちりづかまつかざりしき)・中之町御供(なかのちょうごく)は奥庭に頓宮祇園社(とんぐうぎおんしゃ・八坂神社)が祀られている松原中之町(松仲会)の町会所・祗園床(ぎおんどこ)で、八坂神社の神職や長刀鉾(なぎなたほこ)稚児などを招いて行われます。古式一里塚松飾式では松原中之町町内から選ばれた者が神職を勤めて神事を行い、尾頭付き(おかしらつき)の鯛(たい)や車エビなどの神饌などを供えます。ちなみにかつての山鉾巡行(前祭)は現在のルートと異なり、1955年(昭和30年)までは四条寺町から寺町通(てらまちどおり)を南下して、松原通(まつばらどおり)を西に向かい、長刀鉾稚児は祗園床で休憩して、頓宮祇園社に参っていたそうです。その際松原中之町では長刀鉾稚児を木の実の菓子と水で点てた薄茶でもてなしていました。しかし1956年(昭和31年)に山鉾巡行(前祭)のルートが現在のように変更されるともてなしは途絶えたりしたが、その後長刀鉾稚児などが訪れるようになったそうです。なお古式一里塚松飾式は祇園祭の公式行事でないことから長刀鉾稚児は男性強力(ごうりき)の肩に担がれて移動するのではなく、地上を歩いて松原中之町(松仲会)の町会所・祗園床を訪れます。
松原中之町では江戸時代に疫病が流行した際、町内に素戔嗚尊(すさのおのみこと)=牛頭天王(ごずてんのう)を勧請して頓宮祇園社を造営し、祈願したところ疫病が治まったと言われています。その後祇園祭の山鉾巡行の際、素戔嗚尊(牛頭天王)の神徳に感謝し、神酒・神饌を供えて、嘉儀を述べていたとも言われています。なお松原中之町はかつて長刀鉾町をサポートする寄町(よりまち)でした。
長刀鉾稚児は現在唯一の生稚児(いきちご)です。祇園祭ではかつて船鉾・大船鉾以外の鉾には生身の子供である生稚児が搭乗していました。しかし1788年(天明8年)の天明の大火で被災した函谷鉾が1839年(天保10年)に再興した際、生稚児に代わって稚児人形を使うようになってからは他の鉾も徐々に人形に代わり、1929年(昭和4年)に放下鉾が人形に代わって以来、生稚児を乗せるのは長刀鉾だけになりました。
祇園祭山鉾巡行(前祭)

【祇園祭 歴史・簡単概要】

祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に京都で疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)=素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、そのご機嫌をとる為に牛頭天王を奉る八坂神社(祇園社)を信仰し、病魔退散を祈願した「祇園御霊会(御霊会・ごりょうえ)」が起源です。御霊会では日本全国の国の数に準じ、66本の鉾を作り、神泉苑(京都市中京区御池通大宮)に送り、悪疫を封じ込めました。その後970年(天禄元年)からは例年6月14日に行われるようになったが、応仁の乱(1467年~1477年)で祭りは途絶えました。しかし1500年(明応9年)に町衆の手で再興されました。なお祇園祭の山鉾行事は2009年(平成21年)ユネスコの無形文化遺産に登録されました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)

【長刀鉾 歴史・簡単概要】

長刀鉾(読み方:なぎなたほこ・なぎなたぼこ)は室町時代中期の1441年(嘉吉元年)またはそれ以前に創建されたと言われています。また長刀鉾は鎌倉時代前期の1225年(嘉禄元年)に八坂神社(やさかじんじゃ・祇園社(ぎおんしゃ))に寄進された長刀を鉾頭に掲げて創建されたとも言われています。長刀鉾は現在存在する祇園祭の全山鉾の中で最古の山鉾と言われています。室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))前の山鉾と地名を記した「祗園社記(ぎおんしゃき)」第15(八坂神社記録)には「長刀ほく(四条東洞院烏丸間)」と記されています。長刀鉾の名称は山鉾の先端である鉾頭に疫病邪悪(えきびょうじゃあく)を祓う大長刀(おおなぎなた)を付けていることに由来しています。鉾頭にはかつて三条小鍛冶宗近(さんじょうこかじむねちか)が造った長刀、戦国時代(室町時代後期)の1522年(大永2年)に三条長吉(さんじょうながよし)が造った長刀、江戸時代前期の1675年(延宝3年)に和泉守来金道(いずみのかみらいきんみち)が造った長刀が使われていたが、現在は竹に錫箔を張ったレプリカが使われています。なお長刀鉾では長刀の刃先が京都御所・八坂神社には向かないように南向きに取り付けています。
*参考・・・長刀鉾(祇園祭山鉾前祭)ホームページ

【祇園祭古式一里塚松飾式 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2024日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)

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