祇園祭古式一里塚松飾式2026年7月14日(中之町御供)

祇園祭古式一里塚松飾式(日程時間・アクセス・概要・・・)
祇園祭古式一里塚松飾式(日程・時間・・・)を紹介しています。古式一里塚松飾式は例年7月14日に行われます。(非公開)古式一里塚松飾式は松原中之町の町会所・祗園床で、長刀鉾稚児などを招いて行われます。なお古式一里塚松飾式は祇園祭の公式行事でないことから長刀鉾稚児は地上を歩いて祗園床を訪れます。(詳細下記参照)
★祇園祭最新情報。
【祇園祭古式一里塚松飾式2026 日程時間(要確認)】
祇園祭古式一里塚松飾式2026は2026年(令和8年)7月14日(火曜日)14:00に行われます。(現在確認中・要注意)
●祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2026日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭古式一里塚松飾式・松原中之町 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市中京区松原麩屋町西入ル・松原中之町
最寄り駅・バス停・・・河原町松原(徒歩約7分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から松原中之町は50系統(B2乗り場)
*四条河原町からは51系統、203系統
*四条烏丸からは51系統、203系統
*河原町丸太町からは10系統
路線・時刻表・運賃チェック
【祇園祭古式一里塚松飾式 簡単概要】
祇園祭古式一里塚松飾式(こしきいちりづかまつかざりしき)・中之町御供(なかのちょうごく)は例年7月14日に行われています。
祇園祭古式一里塚松飾式は奥庭に頓宮祇園社(とんぐうぎおんしゃ・八坂神社)が祀られている松原中之町(松仲会)の町会所・祗園床(ぎおんどこ)で、八坂神社の神職や長刀鉾(なぎなたほこ)稚児などを招いて行われます。古式一里塚松飾式では松原中之町町内から選ばれた者が神職を勤めて神事を行い、尾頭付き(おかしらつき)の鯛(たい)や車エビなどの神饌などを供えます。ちなみにかつての山鉾巡行(前祭)は現在のルートと異なり、1955年(昭和30年)までは四条烏丸を出発し、御旅所手前の四条寺町から寺町通(てらまちどおり)を南下して、松原通(まつばらどおり)を西に向かい、長刀鉾稚児は祗園床で休憩して、頓宮祇園社に参っていたそうです。その際松原中之町では長刀鉾稚児を木の実の菓子と水で点てた薄茶でもてなしていました。しかし1956年(昭和31年)に山鉾巡行(前祭)のルートが現在のように変更されるともてなしは途絶えたりしたが、その後長刀鉾稚児などが訪れるようになったそうです。なお古式一里塚松飾式は祇園祭の公式行事でないことから長刀鉾稚児は男性強力(ごうりき)の肩に担がれて移動するのではなく、地上を歩いて松原中之町(松仲会)の町会所・祗園床を訪れます。
●松原中之町では江戸時代に疫病が流行した際、町内に素戔嗚尊(すさのおのみこと)=牛頭天王(ごずてんのう)を勧請して頓宮祇園社を造営し、祈願したところ疫病が治まったと言われています。その後祇園祭の山鉾巡行の際、素戔嗚尊(牛頭天王)の神徳に感謝し、神酒・神饌を供えて、嘉儀を述べていたとも言われています。なお松原中之町はかつて長刀鉾町をサポートする寄町(よりまち)でした。
●長刀鉾稚児は現在唯一の生稚児(いきちご)です。祇園祭ではかつて船鉾・大船鉾以外の鉾には生身の子供である生稚児が搭乗していました。しかし1788年(天明8年)の天明の大火で被災した函谷鉾が1839年(天保10年)に再興した際、生稚児に代わって稚児人形を使うようになってからは他の鉾も徐々に人形に代わり、1929年(昭和4年)に放下鉾が人形に代わって以来、生稚児を乗せるのは長刀鉾だけになりました。
祇園祭山鉾巡行(前祭)
【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭は平安時代(794年~1185年)前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(素戔嗚尊)の祟りであるとし、卜部日良麿が神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)
【祇園祭古式一里塚松飾式 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2026日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)