祇園祭みやび会お千度2025年7月(日程時間・・・)
祇園祭みやび会お千度
祇園祭みやび会お千度(日程・時間・・・)を紹介しています。祇園祭みやび会お千度は例年7月4日から9日に行われています。みやび会お千度は京舞井上流家元・井上八千代や祇園甲部の舞妓・芸妓が白地に紺色の模様のお揃いの新しい浴衣を着用して、本殿を時計回りに3周(?)し、技芸の上達や祇園祭の無事などを祈願します。(詳細下記参照)
★祇園祭最新情報。
【祇園祭みやび会お千度 日程時間(要確認)】
祇園祭みやび会お千度は例年7月4日から9日までに行われます。
●祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭みやび会お千度・八坂神社 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区祇園町北側625番地
最寄り駅・バス停・・・祇園(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から八坂神社は100系統(D1乗り場)、110系統(D1乗り場)、206系統(D2乗り場)
*四条河原町・四条烏丸・四条堀川・四条大宮からは46系統、201系統、203系統、207系統
*河原町丸太町・烏丸丸太町・堀川丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック
*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は祇園四条駅(徒歩約5分)
*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は京都河原町駅(徒歩約8分)
【祇園祭みやび会お千度 簡単概要】
祇園祭みやび会お千度(みやびかいおせんど)は京舞(きょうまい)井上流家元・井上八千代(いのうえやちよ)や祇園甲部の舞妓・芸妓が白地に紺色の模様のお揃いの新しい浴衣を着用して、本殿を時計回りに3周(?)し、技芸の上達や祇園祭の無事などを祈願します。浴衣の模様は毎年変わるそうです。お千度終了後には本殿でお祓いを受け、南楼門前で記念撮影が行われます。みやび会お千度は例年7月1日に行われている長刀鉾町お千度と同様に本殿を1千周ではなく、3周(?)するだけでお千度とします。大勢で本殿を3周するとおよそ1千周になるだろうということです。なおみやび会は祇園甲部の舞妓・芸妓など京舞井上流の門下生による組織です。ちなみに祇園甲部は隔年で祇園祭花傘巡行の奉仕を行っています。
井上流は日本舞踊の流派のひとつで、京都で発展したことから京舞とも言われています。京舞井上流は儒者・井上敬助(いのうえけいすけ)の妹・サト(初代・井上八千代)が近衛家で風流舞を学んだのが起源と言われています。その後初代・井上八千代は江戸時代後期の寛政年間(1789年~1801年)に近衛家(このえけ)の舞指南役を勤めたそうです。なお上方舞(井上流)は京都府の無形文化財(芸能)に指定され、四代・井上八千代と五代・井上八千代はそれぞれ人間国宝です。
八坂神社見どころ(本殿・西楼門など)
【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)
【祇園甲部 歴史・簡単概要】
祇園甲部(ぎおんこうぶ)は江戸時代初期に八坂神社の門前で営業していた水茶屋とそこで働く茶点て女が起源と言われています。京都所司代・板倉重宗により、茶点て女を置くことが許可され、八坂神社(祇園社)門前の茶屋町を「祇園町」と言うようになりました。1872年(明治5年)お茶屋一力亭9代目・杉浦治郎右衛門や初代京都府知事・長谷信篤などにより、祇園甲部歌舞会が設立されました。また同年には八坂女紅場(やさかにょこうば)が創設され、1951年(昭和26年)に学校法人になり、舞妓・芸妓を養成する祇園女子技芸学校(ぎおんじょしぎげいがっこう)を運営しています。なお祇園甲部の舞踊は京舞井上流、春には都をどり、秋には温習会を開催しています。
祇園甲部は現在五花街の中で最大の花街と言われています。(1881年(明治14年)祇園東が祇園甲部から分離・独立しました。)
*参考・・・祇園甲部・都をどりホームページ
【祇園祭みやび会お千度 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2025日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)