祇園祭函谷鉾町龍源寺墓参/7/(日程・時間・・・)
祇園祭函谷鉾町龍源寺墓参
祇園祭函谷鉾町龍源寺墓参(日程・時間・・・)を紹介しています。函谷鉾町龍源寺墓参は例年7月上旬頃に行われています。函谷鉾町龍源寺墓参では宇多野龍源寺に墓参することにより、1872年(明治5年)の山鉾巡行の帰途の際に函谷鉾に足を轢かれて死亡した15歳の少年を弔い、7月17日に行われる山鉾巡行(前祭)の無事を願います。(詳細下記参照)
★祇園祭最新情報。
【祇園祭函谷鉾町龍源寺墓参 日程時間(要確認)】
祇園祭函谷鉾町龍源寺墓参は例年7月上旬頃に行われます。
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭函谷鉾町龍源寺墓参 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市下京区四条通烏丸西入函谷鉾町
最寄り駅・バス停・・・四条駅(徒歩約4分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは地下鉄烏丸線
祇園祭山鉾マップ(前祭)by グーグルマップ
【祇園祭函谷鉾町龍源寺墓参 簡単概要】
祇園祭函谷鉾町龍源寺墓参は(りゅうげんじ)墓参は例年7月上旬頃に行われています。函谷鉾町龍源寺墓参は函谷鉾町だけで行われる祇園祭の非公式行事です。
函谷鉾町龍源寺墓参では函谷鉾町の関係者が宇多野龍源寺に墓参することにより、1872年(明治5年)の山鉾巡行の帰途の際にちまき(粽)を拾おうとして函谷鉾に足を轢かれて死亡した15歳の少年を弔い、7月17日に行われる山鉾巡行(前祭)の無事を願います。ちなみにかつて山鉾巡行では山鉾上から祇園囃子(コンチキチン)を奏でる囃子方などがちまきを見物客に投げていたが、1976年(昭和51年)とその後に見物客がケガを負う事故があり、1983年(昭和58年)からはちまき投げが全面自粛になっているそうです。
- 山鉾巡行(前祭)では長刀鉾(なげなたほこ)を先頭に函谷鉾など23基の山鉾が四条烏丸を出発し、四条通・河原町通・御池通の順に巡行します。なお山鉾巡行(前祭)後の夕方からは3基の神輿が巡行する神幸祭が行われます。
- 龍源寺には1872年(明治5年)の山鉾巡行の帰途の際、烏丸仏光寺(からすまぶっこうじ)上ルあたりでちまきを(粽)拾おうとして函谷鉾に足を轢かれ、3日後に亡くなった15歳の少年の墓があります。事故は少年の過失だが、函谷鉾町が補償し、葬儀・墓の費用も出しました。
- 龍源寺墓参は1月中旬頃に行われる伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)・春永大明神参詣と6月下旬頃に行われる愛宕神社(あたごじんじゃ)参詣とともに函谷鉾町の三大行事に数えられています。ちなみに愛宕神社参詣では御札「火迺要慎(ひのようじん)」を持ち帰り、町会所と函谷鉾の真木に貼り、鉾を落雷と火災から守るようにするそうです。函谷鉾は例年7月10日から組み立てが始まり、7月12日に曳き初めが行われています。
- ちまき投げは始まりが明確ではありません。ただ江戸時代後期の1848年(嘉永元年)に公家召抱えの復古大和絵の絵師・冷泉為恭(れいぜいためちか)が描いた「祇園祭礼絵巻」には函谷鉾・放下鉾(ほうかほこ)・北観音山(きたかんのんやま)からちまきが投げられる光景が描かれているそうです。
【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)
【函谷鉾 歴史・簡単概要】
函谷鉾(読み方:かんこほこ・かんこぼこ)は起源が明確ではありません。函谷鉾は室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))前の山鉾と地名を記した「祗園社記(ぎおんしゃき)」第15(八坂神社記録)には「かんこくほく(四条烏丸と室町間)」と記され、応仁の乱前には既に創建されていたと言われています。函谷鉾は中国の戦国時代(紀元前403~221年)に斉(せい)の孟嘗君(もうしょうくん)が鶏の声により、函谷関(かんこくかん)を無事に脱出できたという史記・鶏鳴狗盗(けいめいくとう)に由来しています。孟嘗君は中国の戦国時代の四君の一人で、秦(しん)の昭襄王(しょうじょうおう)に指名されて宰相になったが、讒言(告げ口)によって追われ、函谷関に到着しました。函谷関は夜間は閉じられ、早朝鶏の鳴き声で開く規則になっていました。そこで物真似の名人である家来が鶏の鳴き声を真似てみると鶏がつられて鳴き出し、函谷関が開いて無事に脱出することができました。その後江戸時代後期1788年(天明8年)の天明の大火で焼失したが、50年後の1839年(天保10年)に再興されました。
*参考・・・函谷鉾(祇園祭山鉾前祭)ホームページ
【祇園祭函谷鉾町龍源寺墓参 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
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