十輪寺業平忌2025年5月28日(日程時間・・・)

十輪寺業平忌

十輪寺業平忌(日程・時間・・・)を紹介しています。業平忌は例年5月28日に行われています。業平忌は十輪寺に隠棲したと言われる六歌仙・三十六歌仙の一人である在原業平(ありわらのなりひら)を偲ぶ法要です。業平忌では三味線に似た十輪寺伝統の三弦で法要が営まれます。また業平忌では一弦琴・邦舞・声明舞・生け花なども奉納されることがあります。(要確認)(詳細下記参照)

【十輪寺業平忌2025 日程時間(要確認)】
十輪寺業平忌2025は2025年(令和7年)5月28日(水曜日)12:00~14:00に行われます。(現在確認中・要注意)

【十輪寺業平忌 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市西京区大原野小塩町481番地
最寄り駅・バス停・・・小塩(徒歩約1分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*阪急電鉄京都本線・東向日駅からは66系統善峯寺行き
*JR・向日町駅からは66系統善峯寺行き
阪急バス・アクセスダイヤ

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【十輪寺業平忌 歴史・簡単概要】
十輪寺業平忌(なりひらき)は十輪寺に隠棲したと言われる六歌仙・三十六歌仙の一人である在原業平(ありわらのなりひら)を偲んで、業平の命日に行われる法要です。業平忌では三味線に似た十輪寺伝統の三弦で法要が営まれます。また業平忌では一弦琴・邦舞・声明舞・生け花なども奉納されこともあります。(要確認)
在原業平は平安時代初期の貴族・歌人で、「伊勢物語」の主人公とも言われています。在原業平は825年(天長2年)に父・阿保親王(平城天皇の第1皇子)と母・伊都内親王(桓武天皇の皇女)の間に生まれ、蔵人・左兵衛権佐・左近衛権少将・蔵人頭などを歴任し、晩年に十輪寺に隠棲したとも言われ、880年(元慶4年)5月28日に56歳で亡くなりました。なお在原業平は二条后(藤原高子)に変わらぬ恋心を伝えたということから十輪寺には縁結びのご利益があるとも言われています。
声明は経典などに独特の節をつけた仏教音楽とされ、法会儀式などに用いられます。声明はインドから中国、中国から日本に仏教とともに奈良時代に伝わり、754年(天平勝宝4年)の奈良・東大寺(とうだいじ)の大仏開眼法要の際に用いられた記録が残っているそうです。なお声明は梵唄(ぼんばい)・梵匿(ぼんのく)・魚山(ぎょざん)・祭文(さいもん)などとも言われています。

【十輪寺 歴史・簡単概要】
十輪寺(じゅうりんじ)・業平寺(なりひら寺)は850年(嘉祥3年)に第55代・文徳天皇が染殿皇后(藤原明子・ふじわらのめいし)の安産を祈願する為、天台宗の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄作の延命地蔵を安置したのが起源と言われています。その後第51代・平城天皇の孫で、六歌仙・三十六歌仙の一人である在原業平(ありわらのなりひら)が隠棲したことから業平寺(なりひらでら)と言われるようになりました。在原業平は大原野神社(おおはらのじんじゃ)に参詣した第52代・清和天皇の二条后(藤原高子・ふじわらのこうし)に塩竈の紫煙で変わらぬ思いを伝えたとも言われています。その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火などによって衰退し、寛文年間(1661年~1673年)に藤原北家師実流の花山院家(清華家)21代当主・花山院定好(かざんいんさだよし) が再建し、1750年(寛延3年)には現在の本堂が再建されました。なお十輪寺は本尊・延命地蔵菩薩(秘仏)を安置し、京都洛西観音霊場の第三番札所です。
十輪寺は天台宗の寺院です。
*参考・・・十輪寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【十輪寺業平忌 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
十輪寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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