祇園祭還幸祭神泉苑拝礼2025年7月24日(日程時間・・・)
祇園祭還幸祭神泉苑拝礼(日程時間・アクセス・概要・・・)
祇園祭還幸祭神泉苑拝礼(日程・時間・・・)を紹介しています。還幸祭神泉苑拝礼は祇園祭還幸祭の際に行われています。還幸祭神泉苑拝礼では中御座神輿が神泉苑に立ち寄って泰安され、僧侶による祭文読み上げや洒水加持(しゃすいかじ)が行われたり、よかろう太鼓が奉納されたりします。中御座神輿では差し上げが行われます。(詳細下記参照)
★祇園祭最新情報。
【祇園祭還幸祭神泉苑拝礼2025 日程時間(要確認)】
祇園祭還幸祭神泉苑拝礼2025は2025年(令和7年)7月24日(木曜日)18:00頃から行われます。(現在確認中・要注意)
●祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭還幸祭神泉苑拝礼 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市中京区御池通神泉苑町東入ル門前町166
最寄り駅・バス停・・・神泉苑前(徒歩すぐ)、堀川御池(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から神泉苑は9系統(B1乗り場)堀
*四条河原町からは12系統堀、15系統神堀
*四条烏丸からは12系統堀
路線・時刻表・運賃チェック
*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は二条城前駅(徒歩約5分)
*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は大宮駅(徒歩約15分)
*嵐電(京福電鉄)嵐山線の場合、最寄り駅は四条大宮駅(徒歩約15分)
*JR山陰本線の場合、最寄り駅は二条駅(徒歩約10分)
【祇園祭還幸祭神泉苑拝礼 簡単概要】
祇園祭還幸祭神泉苑拝礼(かんこうさいしんせんえんはいれい)は中御座神輿(なかござみこし)・東御座神輿(ひがしござみこし)・西御座神輿(にしござみこし)の3基の神輿が御旅所(Otabi Kyoto)から氏子地区を回り、京都三条会商店街にある御供社(ごくうしょ・又旅社(またびしゃ))を経由して、八坂神社に戻る祇園祭還幸祭の際に行われています。還幸祭神泉苑拝礼では素戔嗚尊(すさのおのみこと)の神霊をのせた中御座神輿が神泉苑に立ち寄って泰安され、僧侶による祭文(さいもん)読み上げや真言宗(しんごんしゅう)の大切な作法である洒水加持(しゃすいかじ)が行われたり、よかろう太鼓(たいこ)が奉納されたりします。中御座神輿では輿丁(よちょう・舁手(かきて))が手を垂直に伸ばして神輿を高く掲げ、鳴閂(なりかん)を激しく揺らして「シャンシャン」と鳴らす差し上げが行われます。ちなみに神泉苑では平安時代前期の863年(貞観5年)に御霊会(ごりょうえ)、869年(貞観11年)に祇園祭の起源となる祇園御霊会が行われ、祇園祭発祥の地とも言われています。また素戔嗚尊は祇園祭の起源となった牛頭天王(ごずてんのう)と同一視されています。なお神泉苑では例年5月2日から4日に行われる神泉苑祭で祇園囃子(ぎおんばやし・コンチキチン)が奉納されることもあります。
●中御座神輿巡行ルート・・・御旅所→寺町通を南→高辻通を西→烏丸通を北→四条通を西→大宮通を北→御池通を西→千本通を南→三条通を東→御供社(又旅社)→三条通を東→寺町通を南→四条通を東→八坂神社(変更の場合あり(要確認))
中御座神輿は八坂神社の主祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の神霊をのせます。中御座神輿は六角形の屋根の上に鳳凰が飾られ、男神を表す紫色の袈裟懸けが掛けられます。ちなみに中御座神輿は重さ約2トンと言われています。なお中御座神輿は三若神輿会(さんわかしんよかい)が奉仕し、三若神輿とも言われています。三若神輿会は1690年(元禄3年)頃から祇園祭の神輿渡御に奉仕した三条台若中が起源と言われています。三条台若中は明治時代まで中御座神輿・東御座神輿・西御座神輿の3基の渡御に携わっていたが、現在は中御座神輿を奉仕しています。ちなみに三若神輿会の会所は祇園祭の起源とされる祇園御霊会が行われた神泉苑や八坂神社御旅所(又旅社)近くにあります。
【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)
【神泉苑 歴史・簡単概要】
神泉苑は794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都の際、大内裏の南に接する場所に造営された八町の規模を有する禁苑(宮中の庭)でした。禁苑は大池・泉・小川・小山・森林などを取り込んで造られ、主殿の乾臨閣・右閣・左閣・西釣台・東釣台・滝殿・後殿などの宮殿が造営されました。800年(延暦19年)に桓武天皇が行幸し、802年(延暦21年)に雅宴が催されたとも言われています。その後824年(天長元年)に真言宗の開祖である弘法大師・空海が第53代・淳和天皇の勅命により、北印度の無熱池の善女龍王を勧請して祈雨を行ったと言われています。863年(貞観5年)に疫病が流行し、疫病を鎮める御霊会が行われました。869年(貞観11年)に行われた御霊会が八坂神社(祇園社)の祭礼・祇園祭の起源と言われています。その後荒廃し、1603年(慶長8年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康が二条城を築城した際、敷地の大部分が二条城に組み入れられ、規模が大きく減少しました。1788年(天明8年)の天明の大火によって伽藍が焼失しました。
*参考・・・神泉苑(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【祇園祭還幸祭神泉苑拝礼 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2025日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)