室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)と祇園祭
室町幕府初代将軍・足利尊氏と祇園祭
室町幕府初代将軍・足利尊氏が1338年(延元3年・暦応元年)に北朝第2代・光明天皇から征夷大将軍に任命されて室町幕府を開くと南北朝時代(1337年~1392年)から室町時代(1336年~1573年)に足利将軍が祇園祭を見物した記録が多く残されています。
【祇園祭2026 日程】
祇園祭2026は2026年(令和8年)7月1日(水曜日)の吉符入から2026年(令和8年)7月31日(金曜日)の疫神社の夏越祭までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2026日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)
【室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)】
室町幕府初代将軍・足利尊氏が1338年(延元3年・暦応元年)に北朝第2代・光明天皇(こうみょうてんのう)から征夷大将軍に任命されて室町幕府を開くと南北朝時代(1337年~1392年)から室町時代(1336年~1573年)に足利将軍が祇園祭を見物した記録が多く残されています。足利尊氏とその子で、室町幕府2代将軍・足利義詮(あしかがよしあきら)が祇園祭を一緒に見物したのが文献上の初例と言われています。足利尊氏や北朝第2代・光明天皇(こうみょうてんのう)、北朝第3代・崇光天皇(すこうてんのう)、北朝第4代・後光厳天皇(ごこうごんてんのう))の護持僧で、醍醐寺(だいごじ)65代座主・賢俊(けんしゅん)が記した「賢俊僧正日記(けんしゅんそうじょうにっき)」1355年(正平10年・文和4年)6月14日の条に「将軍(足利尊氏)・羽林(足利義詮)所望之間、祇園会(祇園祭)棧敷用意、御台(赤橋登子)同入御、三条烏丸南頬也、面七間打之」と記され、足利尊氏とその子・足利義詮、そして足利尊氏の正室で、足利義詮の実母・赤橋登子(あかはしとうし)が三条烏丸南側に設けられた桟敷(さじき)で祇園祭を見物したことが分かります。ちなみに1355年(正平10年・文和4年)1月から3月に足利尊氏の実子で、足利尊氏の弟・足利直義(あしかがただよし)の養子だった足利直冬(あしかがなおふゆ)や山名時氏(やまなときうじ)らを中心とする南朝方が京都に上洛し、近江(滋賀)に逃れた足利尊氏や播磨(兵庫)に出陣中だった足利義詮が足利直冬らの京都進攻を退け、足利尊氏・足利義詮が畿内と周辺地域を鎮定していました。(足利直冬は足利尊氏と側室の間に生まれ、足利義詮とは異母兄弟になります。足利尊氏と足利直義は1350年(正平5年・観応元年)の観応の擾乱で対立していました。)
祇園祭を行う八坂神社(祇園社)の社家だった宝寿院(ほうじゅいん)には足利尊氏御判御教書などの文書が残され、現在は八坂神社文書として重要文化財に指定されています。南北朝時代に八坂神社は北朝方と南朝方に分かれて争い、顕詮(けんせん)が足利尊氏・北朝方、静晴が南朝方について争い、北朝の勝利によって執行家は顕詮流に統一され、顕玄流が足利尊氏の御師(おし・おんし)として活動しました。顕詮の子で、足利義満の御師・顕深は第100代・後小松天皇(ごこまつてんのう)の宣旨により、執行職の世襲を認められ、殿上人(てんじょうびと)の扱いとされました。
●足利尊氏は鎌倉時代の1305年(嘉元3年)に鎌倉幕府の御家人で、河内源氏義国流足利氏本宗家7代当主・足利貞氏と側室・上杉清子の二男として生まれました。鎌倉幕府14代執権で、北条氏得宗家当主・北条高時から偏諱を受けて「高氏」と名乗りました。足利氏は源氏将軍断絶後に清和源氏の嫡流として御家人に重んじられ、北条氏と肩を並べる存在で、北条氏と代々婚姻を重ねていました。1333年(元弘3年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇が鳥取・伯耆船上山で挙兵すると鎌倉幕府軍を率いて上洛したが、丹波国(京都府亀岡市)・篠村八幡宮で鎌倉幕府への反乱を宣言し、六波羅探題を滅ぼし、その後鎌倉幕府が滅亡しました。後醍醐天皇が帰京して建武の新政が始まると勲功第一として、後醍醐天皇から偏諱を受けて「尊氏」と改めました。ただ高い官位を与えられたが、政治の中枢に加えられなかった為、後醍醐天皇との対立が激しくなり、一時九州に都落ちしたものの上洛して京都を制圧し、北朝第2代・光明天皇を擁立して征夷大将軍に補任され、室町幕府を開きました。後醍醐天皇は奈良・吉野に脱出して南朝を創始し、南北朝時代が始まりました。1336年(延元元年・建武3年)に室町幕府の施政方針を示した建武式目を発布し、弟・足利直義と二頭政治を布いたが、観応の擾乱で足利直義と対立しました。一時南朝に帰降したが、1553年(文和2年・正平8年)に京都を占拠した南朝軍を排除して入京しました。足利尊氏は1339年(延元4年・暦応2年)に後醍醐天皇が崩御するとその菩提を弔う為に天龍寺を創建しました。なお足利尊氏は南北朝時代の1358年(正平13年・延文3年)に亡くなりました。
【室町幕府初代将軍・足利尊氏と祇園祭 備考】
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祇園祭2026日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)














