上賀茂神社土解祭2025年4月3日(豊穣祈願)

上賀茂神社(Kamigamo Shrine)

上賀茂神社土解祭(日程・アクセス・概要)

上賀茂神社土解祭(日程時間など)を紹介しています。土解祭は例年4月3日に行われています。土解祭では春の日差しにより、土地が作付けに適してくる土解の時期に土の災いを祓い、豊穣を祈願する祭礼です。なお土解祭では特殊な卜占(ぼくせん)により、蒔く稲種を決め、お祓いをします。ちなみに稲種は早稲・中稲・晩稲の中から決められます。(詳細下記参照)

【上賀茂神社土解祭2025 日程時間(要確認)】
上賀茂神社土解祭2025は2025年(令和7年)4月3日(木曜日)10:00頃から行われます。神武天皇遙拝式の後に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・上賀茂神社ホームページ

【上賀茂神社土解祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区上賀茂岡本町
最寄り駅・バス停・・・上賀茂神社前(徒歩約15分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは4系統(A2乗り場)
*四条河原町からは4系統、46系統
*四条烏丸からは46系統
*河原町丸太町からは4系統
路線・時刻表・運賃チェック

*地下鉄烏丸線の場合、最寄り駅は北山駅(徒歩約15分)

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【上賀茂神社土解祭 歴史・簡単概要】
上賀茂神社土解祭(とげさい)では春の日差しにより、土地が作付けに適してくる土解の時期に土の災いを祓い、豊穣を祈願する祭礼です。土解祭では特殊な卜占(ぼくせん)により、蒔く稲種を決め、お祓いをします。なお上賀茂神社では6月に750年(天平勝宝2年)に始まったとも言われている御田植祭(おたうえさい)が行われ、五穀豊穣を祈願します。
土解祭では先ず土舎(つちのや)で陰陽串を使ってお祓いなどを行い、次に本殿で神事を行われます。神事終了後、坪の内(細殿(拝殿)と立砂の間)で、卜占で占われた稲種の種類が書かれた稲種勘文が渡されます。ちなみに稲種は早稲(わせ)・中稲(なかで)・晩稲(おくて)の中から決められます。その後一ノ鳥居と二ノ鳥居の間にある芝生で、弓矢を使って決まった稲を祓い清めます。お祓いが終了すると稲を脱穀し、脱穀が済むと境内を回ります。
細殿(重要文化財)は1628年(寛永5年)に建て替えられました。細殿は二ノ鳥居をくぐったところにあります。
立砂は細殿前にあります。立砂は神代の昔に賀茂別雷命が降臨した神体(秀峰)・神山を模した円錐状の2つの砂の山です。立砂には向かって左に3本(陽)と右に2本(陰)の松葉が差されています。なお立砂は鬼門に撒く清めの砂の起源と言われています。
●上賀茂神社の歴史(創建から現在)を紹介しています。
上賀茂神社歴史(賀茂別雷命・・・)
●上賀茂神社の見どころ(本殿・細殿立砂など)を紹介しています。
上賀茂神社見どころ(本殿・細殿立砂など)

【上賀茂神社 歴史・簡単概要】
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は起源が明確ではありません。上賀茂神社は社伝によると神代の昔に賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が現社殿の北北西にある秀峰・神山(こうやま)に降臨したのが起源とも言われています。その後677年(天武天皇6年)に賀茂神宮が造営されたとも言われています。794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都以降は皇城鎮護の神・山城国一之宮として、桓武天皇を初めとする歴代天皇が行幸・奉幣祈願されたと言われています。807年(大同2年)に最高位である神階・正一位を賜って、葵祭(賀茂祭)が勅祭になり、810年(大同5年)には賀茂斎院が置かれ、第52代・嵯峨天皇の皇女・有智子内親王(うちこないしんのう)が初代斎王として仕え、以降歴代斎王が葵祭に奉仕しました。上賀茂神社は明治時代から戦後まで伊勢神宮に次ぐ、官幣大社の筆頭とされました。
上賀茂神社は下鴨神社(賀茂御祖神社)とともに古代氏族・賀茂氏の氏神を祀る神社です。
*参考・・・上賀茂神社(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ

【上賀茂神社土解祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
葵祭2025日程(時代行列・流鏑馬神事・・・)
京都4月のイベント・行事

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