上賀茂神社白馬奏覧神事2025/1/7(日程時間・・・)
上賀茂神社白馬奏覧神事
上賀茂神社白馬奏覧神事(日程・時間・・・)を紹介しています。白馬奏覧神事は例年1月7日に行われています。白馬奏覧神事は年始に白馬(青馬)を見ると1年の邪気を祓って健康に過ごせるという宮中儀式・白馬節会(あおうまのせちえ)を起源としています。白馬奏覧神事では七草粥(若菜粥)を供え、神馬(しんめ)を曳いて大豆を与える御馬飼の儀が行われます。(詳細下記参照)
【上賀茂神社白馬奏覧神事2025 日程時間(要確認)】
上賀茂神社白馬奏覧神事2025は2025年(令和7年)1月7日(火曜日)10:00から行われます。12:00・13:00・14:00・15:00からも神馬・神山号(こうやまごう)を見ることができます。(現在確認中・要注意)厄除七草粥の接待(有料)が行われる場合があります。
*参考・・・上賀茂神社ホームページ
【上賀茂神社白馬奏覧神事 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区上賀茂岡本町
最寄り駅・バス停・・・上賀茂神社前(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは4系統(A2乗り場)
*四条河原町からは4系統、46系統
*四条烏丸からは46系統
*河原町丸太町からは4系統
路線・時刻表・運賃チェック
*地下鉄烏丸線の場合、最寄り駅は北山駅(徒歩約15分)
【上賀茂神社白馬奏覧神事 歴史・簡単概要】
上賀茂神社白馬奏覧神事(はくばそうらんしんじ)は年始に白馬(青馬)を見ると邪気を祓い、1年間健康に過ごせるという宮中儀式・白馬節会(あおうまのせちえ)を起源としています。
白馬奏覧神事では先ず神前に厄除けのご利益があるとも言われている七草粥(ななくさがゆ・若菜粥(わかながゆ))を供え、神馬(しんめ)を曳いて大豆を与える御馬飼の儀(おうまかいのぎ)が行われます。ちなみに春の七草はせり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろです。なお白馬奏覧神事では七草粥の接待も行われます。(要確認)
宮中儀式・白馬節会では1月7日に天皇が臣下とともに庭に引き出された左右馬寮(さゆうめりょう)の白馬を見て邪気を祓い、宴を行っていたそうです。ちなみに白馬節会は中国の故事に倣い、834年(承和元年)に始まったとも言われています。
青馬は元々濃い青みを帯びた黒馬だったが、第60代・醍醐天皇の頃に白馬、または葦毛の馬になったそうです。また白馬は青馬と書かれていたが、第62代・村上天皇の頃に青馬が白馬に書き改められたそうです。
1月7日は五節句のひとつである人日(じんじつ)の節句で、宮中では天皇などが白馬を見る習慣があったことから白馬(あおうま)の節句とも言われています。馬は陽の生き物、青は春を表す青陽とされ、白馬は縁起のいい生き物と考えられていたそうです。また1月7日は若菜粥(七草粥)を食して、健康・無病息災を祈ったことから若菜(わかな)の節句とも言われています。
●上賀茂神社の歴史(創建から現在)を紹介しています。
上賀茂神社歴史(賀茂別雷命・・・)
●上賀茂神社の見どころ(本殿・細殿立砂など)を紹介しています。
上賀茂神社見どころ(本殿・細殿立砂など)
【上賀茂神社 歴史・簡単概要】
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は起源が明確ではありません。上賀茂神社は社伝によると神代の昔に賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が現社殿の北北西にある秀峰・神山(こうやま)に降臨したのが起源とも言われています。その後677年(天武天皇6年)に賀茂神宮が造営されたとも言われています。794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都以降は皇城鎮護の神・山城国一之宮として、桓武天皇を初めとする歴代天皇が行幸・奉幣祈願されたと言われています。807年(大同2年)に最高位である神階・正一位を賜って、葵祭(賀茂祭)が勅祭になり、810年(大同5年)には賀茂斎院が置かれ、第52代・嵯峨天皇の皇女・有智子内親王(うちこないしんのう)が初代斎王として仕え、以降歴代斎王が葵祭に奉仕しました。上賀茂神社は明治時代から戦後まで伊勢神宮に次ぐ、官幣大社の筆頭とされました。
上賀茂神社は下鴨神社(賀茂御祖神社)とともに古代氏族・賀茂氏の氏神を祀る神社です。
*参考・・・上賀茂神社(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【上賀茂神社白馬奏覧神事 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
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