祇園祭山鉾とは疫神を鎮める依り代(999年~)

祇園祭山鉾
祇園祭山鉾とは疫病などの災厄をもたらす疫神を鎮める依り代です。山鉾の代表格である鉾は疫神の依代となる真木を立て、高さが約25メ-トルにもなります。山鉾の歴史とは999年(長保元年)に雑芸者・無骨が天皇の即位の礼の直後に行う大嘗祭の標山に似た作山を造ったが起源とも言われています。
【祇園祭 日程】
祇園祭は7月1日の吉符入(きっぷいり) から7月31日の疫神社(えきじんじゃ)の夏越祭(なごしさい)までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2023日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から例年6月14日に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)
【山鉾の歴史(起源・由来) 祇園祭】
山鉾とは平安時代中期の999年(長保元年)に雑芸者・無骨(むこつ)が天皇の即位の礼の直後に行う新嘗祭(にいいなめさい)である大嘗祭(だいじょうさい)の標山(しめやま)に似た作山を造ったが起源とも言われています。標山は庭上に設けられ、神が降臨するとされた2基の作り山で、作り山には縁起のよい祥瑞(しようずい)を表す様々な意匠が施されていました。また山鉾とは粟田神社(あわたじんじゃ)粟田祭の剣鉾(けんほこ)が原型とも言われています。剣鉾は神輿渡御の先導を勤め、神様が渡る道筋を祓い清め、悪霊を鎮める祭具です。剣鉾は長さ7~8メートル・重さ40~60キロです。一般的に剣鉾は長い棹(さお)の先に薄くて撓る刃先が菱形をした剣(真鍮(しんちゅう)の鋼)が取り付けられ、上部の剣と下部の棹の間に菊などの花・龍・麒麟(きりん)などを象った錺金物(かざりかなもの)で装飾し、棹に鈴(りん)・吹散(ふきちり(旗))などが付けられています。剣鉾は剣の振幅と鈴の響きによって周囲を祓い清める呪力があるとされています。ちなみに山鉾には人々をあっと驚かせるような華やかな趣向を凝らすという「風流(ふりゅう)」が背景にあったと言われています。祇園祭では病魔退散の意味から鉾・長刀が尊ばれ、南北朝時代に北朝方の官人であった中原師守(なかはらのもろもり)が記した「師守記(もろもりき)」の1345年(興国6年・貞和元年)6月7日の条に定鉾(しすめほこ)の名前が記され、この頃から祇園祭に山鉾が現れたとも言われています。室町時代前期に太政大臣であった一条兼良(いちじょうかねよし)の「尺素往来(せきそおうらい)」には定鉾以外に鵲鉾(かささぎほこ)・跳鉾(おどりほこ)・白河鉾(しらかわほこ)の名前が記され、この頃から祇園祭で山鉾が増加したとも言われています。なお現在、山鉾の中では室町時代中期の1441年(嘉吉元年)に創建されたとも、それ以前に創建されていたとも言われる長刀鉾(なぎなたほこ)が祇園祭の山鉾の中で最古の山鉾と言われています。
【山鉾の役割は依り代 祇園祭】
山鉾とは町や通りから疫病の神である疫神(えきじん・疫病神)を集める依り代(よりしろ)とされています。その為かつて祇園祭の山鉾巡行で神座に封じ込められた疫神が町や通りに戻らないように他の場所に捨てたり、焼き捨てたりしました。また鴨川に流されたこともありました。現在、山鉾巡行で集められた疫神は町や通りに戻らないように巡行後に山鉾は素早く解体され、蔵などに収納されます。1ヶ月に渡って行われる祇園祭期間中でも前祭・後祭の山鉾が見られる期間は限られています。依り代は祇園祭の前身である御霊会(ごりょうえ)が疫神や死者の怨霊(祟り)を鎮める為に始まったことに由来しています。ちなみに山鉾巡行中に祇園囃子を奏でたり、鉾(大型の山鉾)の鉾頭や山(小型の山鉾)の松・杉が尖っているのは神様が賑やかなものや尖ったもの、そして輝くものなどを好むからと言われていています。
【山鉾の種類 祇園祭】
山鉾はその形から鉾(ほこ)・曳山(ひきやま)・船鉾(ふねほこ)・傘鉾(かさほこ)・舁山(かきやま)の種類があります。前祭23基の山鉾は鉾6基、曳山1基、船鉾1基、傘鉾2基、舁山13基です。後祭11基の山鉾は曳山3基、船鉾1基、舁山7基です。
●鉾は疫神(えきじん(疫病神・厄病神))の依り代となる真木(しんぎ)を立て、車輪が取り付けられています。鉾には4畳半~6畳ほどの囃台があり、祇園囃子を奏でる囃子方などが搭乗できます。鉾はその重量から方向転換の為に辻回しを行います。なお鉾にはいずれも前祭の山鉾である長刀鉾・函谷鉾・鶏鉾・月鉾・菊水鉾・放下鉾があります。
●曳山は舁山と同じように真松を立て、鉾と同じように車輪が取り付けられています。曳山には鉾と同じように祇園囃子を奏でる囃子方などが搭乗できます。曳山はその重量から方向転換の為に辻回しを行います。なお曳山には前祭の山鉾である岩戸山、いずれも後祭の山鉾である北観音山・南観音山・鷹山があります。
●船鉾は船の形をし、車輪が取り付けられています。ただ鉾と違って真木がありません。船鉾には鉾と同じように祇園囃子を奏でる囃子方などが搭乗できます。船鉾はその重量から方向転換の為に辻回しを行います。なお船鉾には前祭の山鉾である船鉾と後祭の山鉾である大船鉾があります。
●傘鉾は室町時代に流行した風流の拍子物(ひょうしもの)の系譜を伝える古い形態の鉾とも言われています。傘鉾にはいずれも前祭の山鉾である綾傘鉾・四条傘鉾があります。
●舁山は山に見立て、疫神の依り代となる真松(真杉)を立て、日本・中国の故事・謡曲などの一場面を表現しています。ただ山を作らず、真松も立てない前祭の山鉾である蟷螂山といずれも後祭の山鉾である橋弁慶山・浄妙山は屋台に分類されることもあります。
【山鉾は「動く美術館」 祇園祭】
山鉾は室町時代以降に豪華な装飾品など飾られるようになり、山鉾は「動く美術館」と言われています。山鉾の懸装品などの中には函谷鉾の前懸、鶏鉾の見送、鯉山の前懸・2枚の胴懸(山鉾の側面)・2枚の水引・見送などのように国の重要文化財に指定されているものがあります。(懸装品は変更になっている場合があります。)なお芦刈山の綾地締切蝶牡丹文片身替小袖、浄妙山の黒韋威肩白胴丸(大袖・喉輪付)、橋弁慶山の黒韋威肩白胴丸(大袖付)も国の重要文化財に指定されています。
●函谷鉾の前懸(山鉾の前面)は「旧約聖書」の創世記24章に記されている「イサクの結婚(イサクの嫁選び・イサクに水を供するリベカ)」の物語が描かれている16世紀(戦国時代頃)のベルギー製のタペストリー(飾毛綴・ゴブラン織り)です。タペストリーは江戸時代前期の1633年(寛永10年)にオランダ商館長が江戸幕府3代将軍・徳川家光に献上し、江戸時代中期の1718年(享保3年)に函谷町内の商人・沼津宇右衛門が函谷鉾に寄贈したと言われています。前懸(山鉾の前面)は縦約272.5センチ・横約220.0センチで、本図が縦約256.0センチ・横約203.0センチです。なお函谷鉾は前祭の山鉾です。
●鶏鉾の見送(山鉾の後方)は古代ギリシャの詩人・ホメロス(ホーマー)の叙事詩「イーリアス(イリアス)」のトロイ(トロイア・トロヤ)の戦争物語で、トロイの王子・ヘクトル(へクトール)が妻子に別れを告げる場面が描かれている16世紀(戦国時代頃)のベルギー・フランドル地方製のタペストリー(飾毛綴・ゴブラン織り)です。鶏鉾の見送は江戸時代初期に日本に伝わり、江戸時代後期の1815年(文化12年)に鶏鉾が購入したと言われています。見送(山鉾の後方)は縦約3.7メートル・横約2メートルです。ちなみに滋賀県長浜市の曳山祭で使われる鳳凰山の見送と一対のタペストリーと言われています。なお鶏鉾は前祭の山鉾です。
●鯉山の前懸・2枚の胴懸(山鉾の側面)・2枚の水引・見送は古代ギリシャの詩人・ホメロス(ホーマー)の叙事詩「イーリアス(イリアス)」のトロイ(トロイア・トロヤ)の戦争物語で、トロイの王・プリアモスとその妃・ヘカベ(ヘカベー)がギリシャの神・アポロンの像を崇拝する場面が描かれている16世紀(戦国時代頃)のベルギー・ブリュッセル製のタペストリー(飾毛綴・ゴブラン織り)です。タペストリーは江戸時代後期の1788年(天明8年)の天明の大火後に9つに裁断され、見送と2枚の胴懸・胴懸の上部を飾る2枚の水引が作られ、残った4つの部分で前懸に仕立てられました。なお鯉山は後祭の山鉾です。
【山鉾の鉾(船鉾除く)の特徴 祇園祭】
大型の山鉾である鉾は疫神(疫病神・厄病神)の依り代となる真木を立てているのが最大の特徴です。真木の先端には鉾頭が取り付けられ、その中ほどの天王座に人形・像が祀られ、その下に榊が取り付けられています。ちなみに長刀鉾は鉾頭が長刀、天王座が和泉小次郎(いずみこじろう)の船を担いだ人形になります。鉾は前掛・胴掛・見送・天水引・下水引・裾幕などで彩られます。なお長刀鉾には生稚児(いきちご)が搭乗し、それ以外の鉾には稚児人形が搭乗します。函谷鉾には嘉多丸(かたまる)、鶏鉾には名称不祥、月鉾には於兎丸(おとまる)、放下鉾には三光丸(さんこうまる)、菊水鉾には菊丸が搭乗します。
●重量・・・約10~12トン
●高さ・・・約25メ-トル(地上~鉾頭)、約8メートル(地上~鉾屋根)
●鉾屋根・・・約4.5メートル(長さ)、約3.5メートル(幅)
●囃台・・・約3.5メートル(長さ)、約2.7メートル(幅)
●車輪・・・約2メートル(直径)
【山鉾の舁山(曳山除く)の特徴 祇園祭】
舁山は疫神(疫病神・厄病神)の依り代となる真松を立てているのが最大の特徴です。ただ太子山は真松の代わりに真杉を立てています。舁山は前掛・胴掛・見送・水引などで彩られます。なお大型の山鉾である曳山に分類される岩戸山・北観音山・南観音山は高さが約15メ-トルになります。
●重量・・・約1.2~1.6トン
●高さ・・・約6メ-トル(地上~真松(真杉))、約4.5メートル(地上~屋根)
【応仁の乱前の山鉾 祇園祭】
山鉾はかつて毎年造られていたが、その後固定されるようになったと言われています。室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))前には次のような山鉾がありました。その中には現在も存在している山鉾もあるが、廃絶した山鉾もあります。また名称が変わった山鉾もあります。
●前祭・・・長刀ほく=長刀鉾・かんこくほこ=函谷鉾・かつら男ほく=月鉾・かんたかうふきぬ山・こきやこはやし物=四条傘鉾・あしかり山・まうそ山・いたてん山・辨慶衣川山・天神山=霰天神山・こかうのたい松山・すみよし山=芦刈山・地さうほく=伯牙山・こはんり□山・花ぬす人山=保昌山・うかひ舟山・ひむろ山・あしかり山・はねつるへ山・まうそ山=孟宗山・花見の中将山・山ふしほく=山伏山・菊水ほく=菊水鉾・庭とりほく=鶏鉾・はうかほく=放下鉾・しんくくわうくうの舟=船鉾・岩戸山=岩戸山・おかひき山・かまきり山=蟷螂山・たるまほく・太子ほく=太子山(合計31基)
●後祭・・・すて物ほく・たいしほく・弓矢ほく・くけつのかい山・甲ほく・八幡山=八幡山・普陀落山=南観音山・しんくくわうゝ舟=大船鉾・やうゆう山=北観音山・すゝか山=鈴鹿山・鷹つかひ山=鷹山・山・ふすま僧山・なすの與一山・うし若辨慶山=橋弁慶山・しやうめう坊山=浄妙山・泉の小二郎山・ゑんの行者山=役行者山・れうもんの瀧山=鯉山・あさいなもん山・柳の六しゃく山・西行山・じねんこし山・てんこ山・柴かり山・小原木の山・かさほく 大との房(合計27基)
【山鉾・祇園祭創始1,150年記念事業】
祇園祭創始1,150年記念事業は2019年(令和元年)が祇園祭創始から1,150年にあたることから869年(貞観11年)に祇園御霊が行われた神泉苑(しんせんえん)の旧地である二条城で行われました。869年(貞観11年)の祇園御霊会では神泉苑に66本の矛(ほこ)が立てられたことに因んで、祇園祭創始1,150年記念事業では山鉾の原型とも言われる剣鉾差しの実演などが行われました。剣鉾は京都市内に祀られている約50社の祭礼で見ることができ、八大神社・西院春日神社・平岡八幡宮・粟田神社・新日吉神宮・大豊神社・瀧尾神社・三嶋神社などの剣鉾が集合しました。なお剣鉾は元々祭礼行列の威厳を示す武器としての矛が次第に風流化したものとも言われています。剣鉾は室町時代に現在のような形態になり、「洛中洛外図屏風」に御霊社(上御霊神社・下御霊神社)の剣鉾が描かれています。
【祇園祭山鉾 備考】
祇園祭2023日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
●参考・・・祇園祭山鉾連合会ホームページ