祇園祭・葵祭の共通点・相違点と簡単歴史

祇園祭

祇園祭・葵祭の共通点・相違点

祇園祭と葵祭の共通点は始まった原因かもしれません。葵祭が始まった原因は欽明天皇の時代に起こった風水害が賀茂社の祭神・賀茂大神の祟りとされました。祇園祭が始まった原因は869年(貞観11年)に流行した疫病が八坂神社の祭神である牛頭天王の祟りとされました。

【祇園祭・葵祭 日程】

祇園祭は例年7月、葵祭は例年5月に行われています。祇園祭ではハイライトである山鉾巡行(前祭)・神幸祭が7月17日、山鉾巡行(後祭)・還幸祭が7月24日に行われます。また祇園祭ではハイライトである路頭の儀(時代行列)が5月15日に行われます。路頭の儀は悪天候の場合、翌16日に順延されます。
葵祭2026日程(時代行列・流鏑馬神事・・・)
●祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2026日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭・葵祭の共通点】

祇園祭と葵祭の共通点は始まった原因かもしれません。葵祭が始まった原因は古墳時代(3世紀中頃~7世紀頃)後期の欽明天皇の時代(539年~571年)に起こった風水害が賀茂社(上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ))の祭神である賀茂大神(かものおおかみ)の祟り(たたり)とされました。また祇園祭が始まった原因は平安時代(794年~1185年)前期の869年(貞観11年)に流行した疫病(しっぺい)が八坂神社の祭神である牛頭天王(ごずてんのう・素戔嗚尊(すさのおのみこと))の祟りとされました。科学技術が発展し、科学的知識を身に着けていない時代、人智を超えるような自然災害や疾病が神仏や人間の祟りとされるのはごく自然なことだったのかもしれません。
日本では天変地異や疫病の流行が起こると非業の死を遂げた高貴の人々の祟りであるとし、その人々の神霊を丁重に祀ることにより、災いをなくそうという御霊信仰(ごりょうしんこう)がありました。御霊信仰では神泉苑で御霊会が行われたり、上御霊神社・下御霊神社が祀られたりしました。

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【祇園祭・葵祭の相違点】

祇園祭と葵祭の相違点は主体の違いかもしれません。葵祭は平安時代前期の807年(大同2年)に天皇の勅使が派遣されて行われる勅祭(ちょくさい)になり、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の石清水祭(いわしみずさい)と奈良・春日大社(かすがたいしゃ)の春日祭(かすがのまつり・かすがさい)とともに日本三大勅祭に数えられました。祇園祭は室町時代(1336年~1573年)中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))以降、町衆の手によって再興され、国家行事として位置付けられた官祭(かんさい・公祭(こうさい))的性格が薄くなったとも言われています。ちなみに町衆は八坂神社の神事が行われなくても山鉾巡行だけは行いたいと申し出たこともありました。
葵祭ではかつて勅使が路頭の儀(ろとうのぎ)で下鴨神社・上賀茂神社に向かい、紅紙(べにがみ)に天皇のお言葉が書かれた祭文(さいもん)を奏上していました。現在は宮内省の掌典(しょうてん)職役人が祭文を奏上し、近衛使代と言われる代行者が路頭の儀に参加しています。

【葵祭 歴史・簡単概要】

葵祭(あおいまつり)は第29代・欽明天皇(きんめいてんのう)の時代(539年~571年)に京都をはじめ全国が風水害に見舞われて飢餓・疫病が流行し、賀茂大神(上賀茂神社・下鴨神社)の崇敬者・卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に占わせられたところ賀茂大神の祟りであると奏した為、4月吉日を選んで、馬に鈴を懸け、人は猪頭(いのがしら)を被り、駆競(くち・かけくらべ)して盛大に祭りを行ったことが起源です。819年(弘仁10年)に律令制度の中で最も重要な恒例祭祀(中祀)に準じて行われる国家的行事になりました。その為平安時代中期に祭りと言えば、葵祭を指すほど隆盛を極めたが、武士の時代の鎌倉時代・室町時代に衰え、室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))で約200年間途絶えました。その後江戸時代中期の1694年(元禄7年)に京都西陣に生まれた桂昌院(けいしょういん・お玉)の実子で、江戸幕府5代将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)が尽力し、葵祭が約200年振りに再興されました。
葵祭歴史年表

【祇園祭 歴史・簡単概要】

祇園祭(ぎおんまつり)は869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ・卜部平麻呂)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れ(けがれ)を祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。祇園祭は970年(天禄元年)から毎年に行われるようになったが、室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))によって一時途絶えました。その後戦国時代の1500年(明応9年)に町衆の手で再興され、山鉾には中国・ペルシャ・ベルギーなどからもたらされた豪華なタペストリーなどを飾るようになり、「動く美術館」と評されるようになりました。
祇園祭歴史年表

【祇園祭・葵祭の共通点・相違点 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。

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