金閣寺・北野天満宮散策コース(わら天神宮・平野神社・・・)

金閣寺・北野天満宮散策コース
金閣寺・北野天満宮散策コースは世界遺産である金閣寺と菅原道真を祀り、学問の神として信仰される北野天満宮を結ぶ散策コースです。北側の金閣寺から南側の北野天満宮までは距離が約2.3キロあり、徒歩で30分ほど掛かります。金閣寺から北野天満宮までは余り起伏はない為、比較的楽に散策することができます。金閣寺・北野天満宮散策コース周辺には世界遺産を結ぶきぬかけの路・安産や子授けなどのご利益があるわら天神宮・京都屈指の桜名所である平野神社・本堂が東を向いている東向観音寺・舞妓や芸妓の花街である上七軒などがあります。梅シーズンは北野天満宮、桜シーズンは平野神社でじっくり散策するのがおすすめです。例年3月下旬頃から4月上旬頃に上七軒で北野をどりが行われています。
【金閣寺・北野天満宮散策コース】
【金閣寺(きんかくじ)・鹿苑寺(ろくおんじ) 概要】
金閣寺は1224年(元仁元年)に西園寺公経が北山第を造営し、氏寺・西園寺を建立した場所でした。その後後醍醐天皇の暗殺未遂が起こると西園寺氏の所領などが没収され、北山第は荒廃しました。1397年(応永4年)に室町幕府3代将軍・足利義満が河内の領地との交換によって北山第を譲り受け、荒廃していた北山第の大改修を開始し、北山殿を造営しました。1408年(応永15年)に義満が亡くなると1409年(応永16年)に足利義持が北山殿の一部を破却し、その後義満の妻・日野康子の御所になりました。1419年(応永26年)に康子が亡くなると金閣以外の建物などは解体され、南禅寺・建仁寺などに移されたと言われています。1420年(応永27年)に義満の遺言により、義満を開基、夢窓疎石を開山として禅寺・北山鹿苑寺に改められました。鹿苑寺の寺号は義満の法号「鹿苑院殿」に由来しています。
金閣寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)・金閣寺見どころ
【きぬかけの路(きぬかけのみち) 概要】
きぬかけの路は衣笠山山麓にいずれも世界遺産である金閣寺から龍安寺を経由し、仁和寺まで続く長さ約2.5キロの道です。きぬかけの路は平安時代に宇多天皇が真夏に雪見をする為、衣笠山に絹を掛けたと言われている故事に因んで、1991年(平成3年)の公募で名付けられました。
【わら天神宮(わらてんじんぐう)・敷地神社(しきちじんじゃ) 概要】
わら天神宮は元々、衣笠村に降臨した天神地祇が北山の神として祀られていた場所と言われています。その後831年(天長8年)に氷室が設けられ、加賀から夫役として移った者が加賀・菅生石部神社の敷地天神を勧請し、氏神として菅生石部神の母神・木花開耶姫命を北山の神の隣に祀ったと言われています。1397年(応永4年)に室町幕府3代将軍・足利義満が山荘・北山殿を造営した際、北山の神と木花開耶姫命を合祀し、現在の場所に移して鎮守神としました。
わら天神宮・敷地神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【平野神社(ひらのじんじゃ) 概要】
平野神社は「続日本紀」に記され、782年(延暦元年)には平城宮の宮中に祀られていました。その後794年(延暦13年)の平安京遷都とともに平城京の田村後宮に祀られていた三神(今木神・久度神・古開神)が移されたのが起源と言われています。981年(天元4年)に円融天皇が行幸し、その後皇太子守護の神社として、祭礼・平野祭では皇太子が自ら奉幣を行いました。また源氏・平氏などの氏神として崇敬され、「八姓の祖神」とも言われました。その後応仁の乱や1536年(天文5年)の天文法華の乱で焼失し、寛永年間に西洞院時慶が後陽成天皇の勅許によって修造し、1650年(慶安3年)に後水尾天皇の中宮・東福門院が拝殿などを再建しました。
平野神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)・平野神社見どころ
【東向観音寺(ひがしむかいかんのんじ) 概要】
東向観音寺は806年(大同元年)に藤原小黒麿と賢璟法師が桓武天皇の勅により、王城鎮護の為に創建しました。当初、朝日寺と言いました。その後947年(天暦元年)に朝日寺の僧・最珍らが菅原道真を祀った北野天満宮を創建し、961年(応和元年)に菅原道真作の十一面観世音菩薩を筑紫観世音寺から勧請して安置しました。1311年(応長元年)に無人如導宗師が再興し、寺号を観音寺に改めました。
東向観音寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【上七軒(かみしちけん) 概要】
上七軒は室町時代に北野天満宮が再建された際、残った資材を使って天満宮の東門前の松原に7軒の茶店が建てられたのが起源です。当初、七軒茶屋と称していたそうです。1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉が北野天満宮で北野大茶湯を催した際、茶店が団子を献上しました。その褒美にみたらし団子を商う特権と法会茶屋株を公許されました。江戸時代に下の森や五番町に茶屋株を貸し、芸妓中心の花街として発展しました。
上七軒(アクセス・見どころ・・・
【北野天満宮(きたのてんまんぐう) 概要】
北野天満宮は947年(天暦元年)に西ノ京に住んでいた多治比文子、近江比良宮の神主・神良種、北野朝日寺の僧・最珍らが神殿を造営し、菅原道真を祀ったのが起源です。903年(延喜3年)に道真が左遷された大宰府で没し、942年(天慶5年)に多治比文子に宣託があり、947年(天暦元年)に神良種の子・太郎丸に再び託宣があったとも言われています。その後左遷の原因になった藤原時平の甥・藤原師輔が私邸を寄贈し、大規模な社殿が建立されました。987年(永延元年)に一条天皇から神号「北野天満宮天神」を賜り、1004年(寛弘元年)に一条天皇が行幸し、その後皇室に崇敬されました。1444年(文安元年)に文安の麹騒動で室町幕府から攻撃されて焼失し、一時衰退しました。1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉が境内で北野大茶会を行い、1607年(慶長12年)に秀吉の子・豊臣秀頼が本殿などを造営しました。
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【金閣寺・北野天満宮散策コース 備考】
散策コースではグーグルマップを使用して、スポットを紹介しています。