祇園祭南観音山曳き初め2025年7月20日15:00~(日程時間)
祇園祭南観音山曳き初め(日程時間・アクセス・概要・・・)
祇園祭南観音山曳き初め(日程・時間・・・)を紹介しています。祇園祭南観音山曳き初めは例年7月20日に行われています。南観音山曳き初めでは祇園祭山鉾巡行(後祭)に先立って、組み立てられた南観音山を本番さながらに動かします。曳き初めでは祇園囃子が奏でられ、音頭方による「エンヤラヤー」の掛け声とともに南観音山を動かします。(詳細下記参照)
★祇園祭最新情報。
【祇園祭南観音山曳き初め2025 日程時間(要確認)】
祇園祭南観音山曳き初め2025は2025年(令和7年)7月20日(日曜日)15:00から行われます。予告なく日時変更・中止の場合があります。
●祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭南観音山曳き初め アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市中京区新町通錦小路上る百足屋町
最寄り駅・バス停・・・四条駅(徒歩約6分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは地下鉄烏丸線
祇園祭山鉾マップ(後祭)by グーグルマップ
【祇園祭南観音山曳き初め 簡単概要】
祇園祭南観音山曳き初め(みなみかんのんやまひきぞめ)は7月24日の山鉾巡行(後祭)に先立って、例年7月20日に行われています。なお7月20日には南観音山だけでなく、北観音山(きたかんのんやま)・大船鉾(おおふねほこ)・鷹山(たかやま)も同時間帯に曳かれます。(要確認)
南観音山曳き初めでは組み立てられたばかりの南観音山が本番さながらに曳かれます。曳き初めでは南観音山を見るだけでなく、一般人でも曳く体験をすることができます。(要確認)本番さながらに祇園囃子(ぎおんばやし)が奏でられ、2人の音頭方による「エンヤラヤー」の掛け声とともに参加者がひき綱を曳き、南観音山を動かします。ちなみに南観音山曳き初めでは警察による交通規制の中、新町通(しんまちどおり)を短距離だが曳いて動かします。
南観音山曳き初めに参加する場合、1時間ほど前から並んだ方がいいかもしれません。南観音山は北観音山・大船鉾・鷹山と同時間帯に曳き初めが行われることから曳けるチャンスは多いかもしれません。(要確認)
南観音山は2008年(平成20年)に測定されたデータによると南観音山は高さ約17.24メートル・長さ約6.55メートル・幅約4.45メートル・総重量約9.54トン・最小回転半径約5.90メートルです。
新町通は北側の上賀茂橋から南側の十条通南まで南北に走っています。新町通はかつて平安京の町尻小路・町口小路でした。鎌倉時代以降に町衆の中心を走る町小路になり、土倉などが建ち並ぶようになったとも言われています。
祇園祭山鉾巡行(後祭)
【南観音山 歴史・簡単概要】
南観音山は起源が明確ではありません。南観音山は室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))前の山鉾と地名を記した「祗園社記(ぎおんしゃき)」第15(八坂神社記録)には「普陀落山(錦小路町と四条坊門間)」と記され、応仁の乱前には既に創建されていたと言われています。南観音山は楊柳観音像と脇侍・善財童子像を祀っていることに由来しています。楊柳観音像は恵心僧都・源信作と言われていたが、江戸時代後期の1788年(天明8年)の天明の大火によって頭部以外が焼失し、その後復元されました。楊柳観音は三十三観音の一観音で、病苦からの救済を使命(本誓)としています。楊柳観音は右手に柳の枝を持っていることから楊柳観音と言われています。ただ柳の枝を水瓶に差している場合もあります。室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))頃から隣町の北観音山(きたかんのんやま)と一年交代で巡行していたが、明治時代から北観音山とともに毎年巡行するようになりました。ちなみに南観音山はかつて舁山だったが、曳山に改められました。なお南観音山はかつては下り観音山とも言われていました。
*参考・・・南観音山(祇園祭山鉾後祭)
【祇園祭南観音山曳き初め 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
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