- Home
- 五山送り火, 五山送り火ハイライト
- 妙法・五山送り火2025年8月16日20時:05分点火(鑑賞スポット)
妙法・五山送り火2025年8月16日20時:05分点火(鑑賞スポット)
妙法・五山送り火(日程時間・アクセス・概要・・・)
妙法・五山送り火(スポット・・・)情報を紹介しています。妙法は例年8月16日20:05から点火されます。妙法の「妙」は鎌倉時代末期に日像上人が始め、「法」は江戸時代初期に日良上人が始めたと言われています。なお妙がある西山(万灯籠山)は標高約135メートル・法がある東山(大黒天山)は標高約186メートルです。
●五山送り火最新情報。
【五山送り火2025 日程時間(要確認)】
五山送り火2025は2025年(令和7年)8月16日(土曜日)20:00から行われます。妙法は20:05から点火され、20:05頃~20:35頃に見ることができます。五山送り火は原則雨天決行だが、気象条件によって点火時間が変更になる場合もあります。妙法では同時に点火する為、京都工芸繊維大学の学生館屋上から点火の合図を送っています。かつては京都工芸繊維大学の敷地内にあった火小屋から火をかざして合図を送っていたが、その後かんぽ生命保険京都事務サービスセンターの屋上から合図を送るようになったが、2020年(令和2年)を最後に移転しました。「妙」では点火直前に涌泉寺(ゆうせんじ)の住職らが「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」と唱え、団扇太鼓を叩きながら山上に登り、点火後に再び「南無妙法蓮華経」と唱え、団扇太鼓を叩きながら祖霊を送ります。「法」では妙円寺(みょうえんじ・松ヶ崎大黒天(まつがさきだいこくてん))で読経が行われます。五山送り火終了後の21:00頃から涌泉寺で題目踊り・さし踊りが行われます。なお妙法では日蓮宗の宗祖・日蓮聖人が男女を差別しなかったことから男女の区別がなく、送り火の作業を行うそうです。
●護摩木の奉納は例年、地下鉄松ヶ崎駅の東出入口西側にある武與門ビル入口で行われています。(場所・日程時間要確認)
五山送り火2025(鑑賞スポット・穴場・日程・・・)
【妙法の場所位置 マップ・地図】
場所・・・京都府京都市左京区松ヶ崎・西山(万灯籠山)と東山(大黒天山)
【妙法 鑑賞スポット(見える場所)】
★「妙」の鑑賞スポット(見える場所)は次の通りです。地理的条件の変化により、見られなくなっている場合もあります。「妙」の鑑賞スポットでは北山通がよく知られています。
●北山通(ノートルダム女子大学から松ヶ崎駅の間)・京都市左京区
北山通(マップ・アクセス・・・)
●宝池自動車教習所周辺・京都市左京区松ヶ崎芝本町
●宝が池公園球技場:京都市左京区松ケ崎東池ノ内町
●高野橋:京都市左京区下鴨東森ケ前町・高野西開町
高野橋(マップ・アクセス・・・)
●出雲路橋:京都市左京区下鴨下川原町
出雲路橋(マップ・アクセス・・・)
★「法」の鑑賞スポット(見える場所)は次の通りです。地理的条件の変化により、見られなくなっている場合もあります。「法」の鑑賞スポットでは北山通がよく知られています。
●北山通(松ヶ崎駅から京都工芸繊維大北側の間)(上記参照)
●松ケ崎浄水場・京都市左京区松ケ崎中海道町9
●松ヶ崎大黒天(妙円寺)交差点:京都市左京区松ヶ崎東町
妙円寺(マップ・アクセス・・・)
●高野橋(上記参照)
●出雲路橋(上記参照)
【妙法 大きさ】
★「妙」は最長約95メートルや約93メートル・約70メートル・約55メートル・約37メートルなど構成されています。「妙」の火床は合計103基です。
★「法」は最長約75メートルや約62メートル・約48メートル・約42メートル・約38メートルなど構成されています。「さんずい」は上から約12メートル・約13メートル・約16メートルです。「法」の火床は合計63基です。火床には薪332束・松葉166束が使われるそうです。妙法はかつて杭の上に松明を結んだり、掘った穴に石を置いて火床を造ったりしていました。現在は鉄製の受皿に割木を井桁に組み上げています。
「妙」・「法」はいずれも日蓮宗の寺院である涌泉寺(ゆうせんじ)・妙円寺(松ヶ崎大黒天)にゆかりがあり、「南無妙法蓮華経」が題目になっており、「法華経(ほっけきょう)」の教えに帰依をするという意味があります。なお「妙」の字は草書体(そうしょたい)、「法」の字は楷書体(かいしょたい)で、作られた時代が異なることを表しています。
【妙法 歴史・簡単概要】
妙法(松ヶ崎妙法)の「妙」は鎌倉時代(1185年~1333年)末期に日蓮宗(にちれんしゅう)の僧・日像上人(にちぞうしょうにん)が始め、「法」は江戸時代(1603年~1868年)初期に大妙寺(だいみょうじ)の僧・日良上人(にちりょうしょうにん)が始めたと言われています。なお妙法が具体的に記されている文献上の初見は江戸時代前期の1662年(寛文2年)に刊行された俳人・中川喜雲(なかがわきうん)著の「案内者(あんないしゃ)」です。
★「妙」は日像上人が西山に向かい、「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」の題目から「妙」の字を書き、山に点火するようになったというものです。なお日像上人は日蓮宗の宗祖・日蓮聖人(にちれんしょうにん)の法孫で、妙法がある松ヶ崎全村に法華経を広め、妙泉寺(みょうせんじ・歓喜寺)を日蓮宗に改宗させたと言われています。ただ比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)などの圧力により、3度の弾圧と赦免(三黜三赦(さんちつさんしゃ)の法難)を受けました。
★「法」は涌泉寺の寺伝によると日良上人(にちりょうしょうにん)が東山に向かい、「法」の字を書き、山に点火するようになったというものです。なお日良上人は妙泉寺の末寺・下鴨大明寺(廃寺)の僧です。大妙寺は南北朝時代の1340年(延元5年・暦応3年)に日朗(にちろう)門下の九老僧の一人・妙音阿闍梨日行(みょうおんあじゃりにちぎょう)が創建しました。
*参考・・・妙法・五山送り火ホームページ
【「妙」の重要人物】
日像(肥後阿闍梨)は鎌倉時代中期の1269年(文永6年)に豪族・平賀忠晴の子として下総国(千葉)に生まれました。1275年(建治元年)に兄で、日蓮聖人の弟子・日朗に師事し、その後日蓮聖人の直弟子になりました。1293年(永仁元年)に日蓮聖人の遺命を果たすべく、京都での布教に出発しました。新興の商工業者に布教したが、延暦寺・東寺・仁和寺・南禅寺・相国寺などの諸大寺から迫害を受け、3度にわたって土佐・紀伊などに追放されました。1321年(元亨元年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇から寺領を賜って妙顕寺を創建し、1334年(建武元年)に後醍醐天皇から法華宗号を許され、勅願寺になりました。その後足利将軍家・北朝の光厳院(北朝初代・光厳天皇)の祈願所にもなり、公武に信仰されました。日像は「法華講式」・「三秘蔵集」・「宗旨弘通鈔」・「法華宗旨問答抄」・「本尊相承」などを記しました。日像は南北朝時代の1342年(康永元年・興国3年)に亡くなりました。
【松ヶ崎妙法保存会】
松ヶ崎妙法保存会は涌泉寺(ゆうせんじ)の檀家による世襲です。2010年(平成22年)頃の保存会会員は「妙」が103戸、「法」が63戸でした。松ヶ崎妙法保存会では7月に山道の草刈り・木の伐採、8月に火床周辺の整備を行っています。また題目踊り・さし踊りの練習も20日以上行っているそうです。松ヶ崎題目踊りは男女が輪になって中央に太鼓が置かれ、「南無妙法蓮華経」を独特の節回しで唱えながら団扇を上下に回転され、体を前後に屈伸しながら踊ります。題目踊りは日本最古の盆踊りとも言われています。さし踊りは比叡山(ひえいざん)横川の僧・鉄扇が天台声明(てんだいしょうみょう)を民衆に合うように作り直したものです。
●松ヶ崎妙法保存会・・・京都府京都市左京区松ヶ崎西山・京都府京都市左京区松ヶ崎東山
涌泉寺は1918年(大正7年)に妙泉寺と本涌寺が合寺し、名称を涌泉寺に改めました。妙泉寺は平安時代前期の805年(延暦24年)に黄門侍郎牒利(こうもんじろうのりとし)が天台宗(てんだいしゅう)の松崎寺を創建したのが起源とも言われています。(諸説あり)その後名称を歓喜寺に改めました。鎌倉時代に住職・実眼が夢告により、日像上人の弟子になり、天台宗から日蓮宗に改め、名称も妙泉寺に改めました。その後室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))や戦国時代の1536年(天文5年)の天文法華の乱(てんんもんほっけのらん)によって荒廃し、1575年(天正3年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が再興しました。なお本涌寺は当初草庵だったが、戦国時代の1574年(天正2年)に妙泉寺12世・教蔵院日生が堂を創建し、立本寺(りゅうほんじ)に属しました。本涌寺には法華宗の僧侶養成・学問所である松ヶ崎檀林が開かれていたが、明治維新後に檀林は廃止されました。
涌泉寺(アクセス・・・)
【妙法・五山送り火 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
五山送り火(鑑賞スポット・穴場・・・)
●五山送り火テレホンサービス0180-991-153(16日13:30~)●