温習会・寿会・みずゑ会・水明会・祇園をどり|京都花街

秋の温習会・寿会・みずゑ会・水明会・祇園をどり
京都には五つの花街(祇園甲部・祇園東・宮川町・先斗町・上七軒)があり、秋に祇園をどり(祇園東)・温習会(祇園甲部)・みずゑ会(宮川町)・寿会(上七軒)・水明会(先斗町)が行われます。祇園をどりは五花街の中で唯一秋に行われる「をどり(おどり)」です。温習会・みずゑ会・寿会・水明会は芸妓・舞妓が日頃の稽古の成果を披露する場です。(水明会では芸妓だけが出演します。)
【温習会・寿会・みずゑ会・水明会・祇園をどり マップ・地図】
【祇園をどり(ぎおんをどり)・祇園東(ぎぽんひがし) 概要・特徴】
祇園をどりは例年11月1日から10日頃に祇園東が行っています。祇園をどりは祇園甲部の都をどり・宮川町の京おどり・上七軒の北野をどり・先斗町の鴨川をどりと異なり、秋に「をどり(おどり)」を開催します。祇園をどりは1952年(昭和27年)に「祇園乙部」から「祇園東新地」に改名した際に芸妓舞妓が上演したのが起源と言われています。祇園をどりでは毎回オリジナルの脚本により、芸妓・舞妓の長唄、清元の舞踊メドレーが披露されます。フィナーレの祇園東小唄では祇園東界隈の四季を唄い上げ、芸妓・舞妓の総出演で華やかな舞台を締めくくります。
祇園東・祇園をどり
【温習会(おんしゅうかい)・祇園甲部(ぎおんこうぶ) 概要・特徴】
温習会は例年10月上旬頃に祇園甲部が行っています。温習会は明治(1868年~1912年)初期から行われていたが、資料は残されていないそうです。「温習」は「おさらい」という意味で、芸妓・舞妓が稽古の成果を披露し、京舞井上流の家元に評価を頂く「おさらい会」が始まりです。温習会では芸妓・舞妓が京舞井上流に伝わる伝統的な舞を披露します。京舞井上流は儒者・井上敬助の妹・サト(初代・井上八千代)が近衛家で風流舞を学んだのが起源と言われています。上方舞(井上流)は京都府の無形文化財(芸能)に指定されています。
祇園甲部・温習会
【寿会(ことぶきかい)・上七軒(かみしちけん) 概要・特徴】
寿会は例年10月中旬頃に上七軒が行っています。江戸時代後期に茶屋株の公許に伴って、花街は仲間(なかま)をつくり、上七軒は寿仲間、祇園町は栄仲間と称しました。上七軒では終戦後にいち早く温習会を復活させ、新しい時代の勉強会とする為に「寿仲間」の寿から温習会を寿会としました。寿会は芸妓・舞妓の日頃の稽古の成果を発表する為、古典・踊りが中心で上方唄・長唄など伝統ある名曲が披露されます。
上七軒・寿会
【みずゑ会(みずゑかい)・宮川町(みおやがわちょう) 概要・特徴】
みずゑ会は例年10月に宮川町が行っています。みずゑ会は1971年(昭和46年)に途絶え、2006年(平成18年)に復活しました。みずゑ会では芸妓・舞妓が一年間に習得した技芸を披露します。みずゑ会は古典を題材にした演目を披露し、フィナーレは春の宮川音頭に対し、宮川小唄で締めくくります。
宮川町・みずゑ会
【水明会(すいめいかい)・先斗町(ぽんとちょう) 概要・特徴】
水明会は例年10月下旬頃に先斗町が行っています。水明会は1930年(昭和5年)から始まった芸妓による伎芸発表会です。1907年(明治40年)発足の長唄千代栄会と1927年(昭和2年)発足の土曜会が発展的に統合して水明会が生まれました。水明会は鴨川の清流に因んで名付けられました。1999年(平成11年)に秋の鴨川をどりが廃止され、水明会は3月から10月に行われるようになりました。水明会では芸妓だけが舞台に立ち、舞妓は出演しません。
先斗町・水明会
温習会・みずゑ会・寿会・水明会では一中節・常磐津・清元・上方唄などが披露されます。
●一中節(いっちゅうぶし)は江戸時代中期に都太夫一中が京都で創始したと言われています。先ず上方で流行し、その後江戸時代中期に江戸を中心として栄えました。節回しが柔らかく洗練され、上層階級などに好まれました。一中節からは豊後節が誕生し、豊後節から常磐津・富本・清元などの流派が派生しました。一中節は荻江節・河東節・宮薗節とともに古曲に数えられています。
●常磐津(ときわず・常磐津節)は1747年(延享4年)に江戸浄瑠璃・豊後節の祖である宮古路豊後掾の門人・常磐津文字太夫(宮古路文字太夫)が創始し、名称は常磐津文字太夫に由来しています。江戸時代中期に豊後節は風俗を乱すという理由で禁止され、常磐津文字太夫が常磐津に改めて復活することを計画しました。歌舞伎舞踊の伴奏として江戸で発展し、歌舞伎の所作事と深く結び付きました。常磐津は豊後系浄瑠璃の流派で、富本・清元とともに豊後三流に数えられました。
●清元(きよもと・清元節)は1814年(文化11年)に清元延寿太夫(富本斎宮太夫)が富本(富本節)から独立して創始しました。諸浄瑠璃の中で最も新しい流派です。清元は富本よりも派手で軽快、また洒落と粋を持った曲節を特色とし、歌舞伎・舞踊などよく用いられました。江戸時代末期(幕末)から明治時代隆盛しました。
●上方唄(かみがたうた・上方歌)は江戸時代に京都・大坂の京坂(関西)で流行した三味線歌です。上方唄には組歌・長歌・端歌・手事物・芝居唄・浄瑠璃物・作物・歌舞伎歌・半太夫物・繁太夫などが含まれます。上方唄は江戸唄に対応します。
●長唄(ながうた・長歌・江戸長唄)は江戸時代中期に歌舞伎舞踊の伴奏音楽として誕生したと言われています。豊後節系統の浄瑠璃と大薩摩節などを取り込んで誕生したと言われています。歌舞伎との密接な関係で発展したが、その後歌舞伎を離れたお座敷長唄も誕生しました。
●地唄(じうた・地歌)はある地方だけで歌われている俗歌(俗謡)で、土地の歌です。三味線声曲の一種で、盲人音楽家によって伝承され、法師唄とも言われています。なお江戸唄に対して、上方唄を地元の人が地唄ということもあります。
●素囃子(すばやし)は能における略式の演奏形式です。素囃子は舞事の部分を謡なしで、囃子事を囃子方だけで演奏します。
【温習会・寿会・みずゑ会・水明会・祇園をどり 備考】
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