永観堂(禅林寺)観光マップ・地図(哲学の道・南禅寺・・・)

永観堂(Eikan-do)

永観堂(禅林寺)観光マップ・地図

永観堂(禅林寺)観光マップ・地図では京都を代表する紅葉名所である永観堂周辺の観光スポットを紹介しています。永観堂(禅林寺)では急傾斜の岩壁に岩垣もみじが分布し、古くから「秋はもみじの永観堂」と言われています。永観堂周辺には南禅寺・南禅院・金地院・熊野若王子神社・哲学の道などがあります。

【永観堂(禅林寺)観光マップ・地図】

【永観堂(えいかんどう)・禅林寺(ぜんりんじ) 概要】

永観堂(禅林寺)は京都を代表する紅葉名所で、見ごろにライトアップを行う場合があります。永観堂は平安時代に歌人・藤原関雄の別荘・東山山荘があった場所です。永観堂は853年(仁寿3年)に弘法大師・空海の高弟である河内観心寺・真紹僧都(しんじょうそうず)が京都における真言宗密教の実践道場の創建を志し、藤原関雄から寄進された別荘に五智如来を安置したのが起源です。その後863年(貞観5年)に第56代・清和天皇から寺号「禅林寺」を賜わりました。しかし承暦年間に永観律師(ようかんりっし)が浄土念仏道場に改め、阿弥陀如来を本尊にしました。永観堂の名称は永観律師に由来しています。
永観堂(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)永観堂見どころ(阿弥陀堂・方丈など)

【南禅寺(なんぜんじ) 概要】

南禅寺は永観堂の南南西に位置しています。南禅寺には京都三大門に数えられる三門(重要文化財)や水路閣などがあります。水路閣はテレビドラマなどのロケ地で知られ、インスタ映えスポットになっています。南禅寺は1264年(文永元年)に第88代・後嵯峨天皇が造営した離宮・禅林寺殿(ぜんりんじどの)があった場所です。南禅寺は1291年(正応4年)に亀山法皇が東福寺3世住持であった大明国師・無関普門を開山として離宮を寺院に改め、龍安山禅林禅寺と名付けたのが起源です。南禅寺は皇室発願の最初の禅寺になりました。その後室町時代に隆盛を極め、京都五山及び鎌倉五山の上に置かれ、別格扱いの「五山之上」に列せられました。
京都・南禅寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)南禅寺見どころ(水路閣・三門など)

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【南禅院(なんぜんいん) 概要】

南禅院は永観堂の南南西に位置しています。南禅院は南禅寺の別院で、南禅寺の発祥地と言われています。南禅院は亀山上皇の離宮・禅林寺殿(ぜんりんじどの)の上の御所があった場所です。禅林寺殿は上の御所と下の御所に分かれていました。南禅院は1287年(弘安10年)に上の御所に持仏堂が建立され、1289年(正応2年)に亀山上皇が出家して法皇になり、大明国師・無関普門を開山として創建されたのが起源と言われています。その後度々火災に見舞われ、応仁の乱後に荒廃したが、1703年(元禄16年)に江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の生母・母桂昌院の寄進によって方丈が再建されました。
南禅院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【金地院(こんちいん) 概要】

金地院は永観堂の南西に位置しています。金地院は南禅寺の塔頭で、京都唯一の権現造(ごんげんづくり)と言われる東照宮があります。また小堀遠州が作庭した資料が唯一残っている枯山水の庭園・鶴亀の庭もあります。金地院は応永年間(1394年~1427年)に室町幕府4代将軍・足利義持が南禅寺68世・大業徳基(だいごうとくき)を開山として洛北鷹ケ峯に創建したのが起源と言われています。その後荒廃し、1605年(慶長10年)に江戸幕府の参与で、「黒衣の宰相」と言われた南禅寺270世である金地院崇伝が現在の場所に移しました。
金地院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ) 概要】

熊野若王子神社は永観堂の北側に位置しています。熊野若王子神社は古くからの桜名所で、足利尊氏・足利義政が花見の宴を催しと言われています。熊野若王子神社はかつて永観堂(禅林寺)の守護神だったとも言われています。熊野若王子神社は社伝によると1160年(永暦元年)に後白河上皇が紀州・熊野三所権現を勧請し、永観堂の守護神として創建したと言われています。熊野若王子神社の社名は天照大神の別称である若一王子に由来しているそうです。その後武家から信仰されたが、応仁の乱で荒廃し、1582年(天正10年)に若王寺の僧正・澄存が関白・豊臣秀吉の寄進によって再興しました。
若王子神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【哲学の道(てつがくのみち) 概要】

哲学の道は永観堂の北側を南北に伸びています。哲学の道は京都屈指の桜名所で、シーズンには国内外の観光客が大勢訪れます。哲学の道は琵琶湖疏水分線沿いに銀閣寺付近から若王子神社付近まで続く約1.8キロの道です。哲学の道は京都市内で唯一「日本の道100選」に選ばれています。琵琶湖疏水は京都近代化政策の一環として計画され、1890年(明治23年)に琵琶湖疏水分線が完成し、その管理用道路が哲学の道の起源です。哲学の道周辺では明治時代に文人が多く住んで「文人の道」と言われるようになり、その後哲学者らが散策するようになって「哲学の小径」・「思索の道」などとも言われるようになりました。
哲学の道(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【永観堂(禅林寺)観光マップ・地図 備考】
マップ・地図ではグーグルマップを使用して、スポットを紹介しています。

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