上賀茂神社御阿礼神事2024/5/12(日程時間・・・)
上賀茂神社御阿礼神事
上賀茂神社御阿礼神事(日程・時間・・・)を紹介しています。御阿礼神事は例年5月12日に行われています。御阿礼神事は古来の神迎えの神事です。御阿礼神事は5月15日に行われる葵祭に先立って、5月12日の夜に行われる上賀茂神社の祭儀中、最も古く重儀の神事です。御阿礼とは神の出現・天降りのことを言うそうです。(詳細下記参照)
★葵祭2024の最新情報
【上賀茂神社御阿礼神事2024 日程時間(要確認)】
上賀茂神社御阿礼神事2024は2024年(令和6年)5月12日(日曜日)夜に行われます。ただ一般には公開されません。
*参考・・・上賀茂神社ホームページ
★葵祭の行事日程を確認できます。(下記リンク参照)
葵祭2024日程(時代行列・流鏑馬神事・・・)
【上賀茂神社御阿礼神事 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区上賀茂岡本町
最寄り駅・バス停・・・上賀茂神社前(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは4系統(A2乗り場)
*四条河原町からは4系統、46系統
*四条烏丸からは46系統
*河原町丸太町からは4系統
路線・時刻表・運賃チェック
*地下鉄烏丸線の場合、最寄り駅は北山駅(徒歩約15分)
【上賀茂神社御阿礼神事 簡単概要】
上賀茂神社御阿礼神事(みあれじんじ)・御阿礼祭(みあれさい)は古来の神迎えの神事です。御阿礼神事は5月15日に行われる葵祭(あおいまつり)に先立って、5月12日の夜に行われる上賀茂神社の祭儀中、最も古く重儀の神事です。御阿礼神事は秘儀とされ、一般には公開されません。
御阿礼神事では上賀茂神社と上賀茂神社の祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が降臨したと言われている秀峰・神山(こうやま)との間に位置する丸山の一角にある御生野(みあれの)に祭場を作り、四方を松・檜(ひのき)・賢木(さかき)などの常緑樹で囲み、神籬(ひもろぎ)を設け、その前に円錐形の立砂(たてずな)一対を盛り、割幣をつけた榊(さかき)に神霊を移し、本殿に神霊を神幸させます。ちなみに御阿礼とは神の出現・天降りのことを言うそうです。
- 立砂は鬼門に撒く清めの砂の起源と言われています。上賀茂神社では立砂は神代の昔に主祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が降臨した神体(秀峰)・神山(こうやま)を模しています。立砂は向かって左側に3本(陽)の松葉、右側に2本(陰)の松葉が差されています。
- 賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)の神迎えの儀式に奉仕する阿礼少女(あれおとめ)とされたのが斎王代(さいおうだい)の起源となった斎王(さいおう)です。なお斎王はかつて天皇の娘である未婚の内親王(ないしんのう)、または女王(じょうおう)から選ばれました。ちなみに斎王は斎皇女(いつきのみこ)とも言われました。
【葵祭 歴史・簡単概要】
葵祭は第29代・欽明天皇の時代(539年~571年)に全国が風水害に見舞われて飢餓・疫病が流行し、卜部伊吉若日子に占わせられたところ賀茂大神の祟りであるとした為、4月吉日を選んで、馬に鈴を懸け、人は猪頭を被り、駆競して、盛大に祭りを行ったことが起源とも言われています。なお葵祭は正式名称を賀茂祭と言うが、賀茂祭は祭儀に関わる人や牛車に至るまで二葉葵を桂の小枝に挿し飾ることから江戸時代以降に葵祭と言われるようになりました。
葵祭歴史年表
【上賀茂神社 歴史・簡単概要】
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は起源が明確ではありません。上賀茂神社は社伝によると神代の昔に賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が現社殿の北北西にある秀峰・神山(こうやま)に降臨したのが起源とも言われています。その後677年(天武天皇6年)に賀茂神宮が造営されたとも言われています。794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都以降は皇城鎮護の神・山城国一之宮として、桓武天皇を初めとする歴代天皇が行幸・奉幣祈願されたと言われています。807年(大同2年)に最高位である神階・正一位を賜って、葵祭(賀茂祭)が勅祭になり、810年(大同5年)には賀茂斎院が置かれ、第52代・嵯峨天皇の皇女・有智子内親王(うちこないしんのう)が初代斎王として仕え、以降歴代斎王が葵祭に奉仕しました。上賀茂神社は明治時代から戦後まで伊勢神宮に次ぐ、官幣大社の筆頭とされました。
*参考・・・上賀茂神社(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【上賀茂神社御阿礼神事 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
葵祭2024日程(路頭の儀・前儀・後儀・・・)