過去の記事一覧

  • 満済の「満済准后日記(まんさいじゅごうにっき)」と祇園祭

    満済は足利義満やいずれもその子である足利義持や足利義教から信任され、内政・外交などの幕政の中枢に関与し、「黒衣の宰相」とも言われ、「満済准后日記」には室町幕府の政治などが記されています。また祇園祭なども記されています。
  • 遣明使(けんみんし)・明使節(みんしせつ)と祇園祭

    室町幕府3代将軍・足利義満は1392年(元中9年・明徳3年)の南北朝合一後に明(中国)との通交を試み、1401年(応永8年)に正使の僧・祖阿や博多の商人・肥富らを遣明使として派遣し、明に国書を送りました。
  • 弥栄神社(やさかじんじゃ)の鷺舞(さぎまい)と祇園祭

    祇園祭ではかつて鷺舞が舞われていたが、江戸時代中期頃に途絶えたと言われています。1956年(昭和31年)に鷺舞保存会が祇園祭の鷺舞が伝えられていた島根県津和野町・弥栄神社から鷺舞を逆輸入して復興させました。
  • 滋賀・日吉大社(ひよしたいしゃ)と祇園祭

    八坂神社は974年(天延2年)に延暦寺の別院になったと言われ、祇園祭は延暦寺とその守護神・日吉大社から大きな影響を受けました。強訴が受け入れられなかった場合、日吉大社の山王祭を行わず、例年6月に行われていた祇園祭も度々延期になりました。
  • 北畠笠鷺(きたばたけかささぎほこ)と祇園祭

    北畠笠鷺は相国寺に所属する北畠散所が祇園祭に奉納していた鉾です。北畠笠鷺は大舎人座に属する織物座の商人が奉納していた大舎人の鵲鉾と一対になっていたと言われています。北畠散所は京都北畠(上京区)を根拠地として活動していました。
  • 大舎人(おおとねり)の鵲鉾(かささぎほこ)と祇園祭

    大舎人の鵲鉾は現在の西陣あたりにあった大舎人座に属する織物座の商人が祇園祭に奉納していた鉾です。大舎人の鵲鉾は白鷺の格好をして舞う囃子物で、祇園祭の代表的な風流のひとつです。南北朝時代には既に奉納されていたとも言われています。
  • 山崎の油座の定鉾(しずめぼこ)と祇園祭

    山崎の油座の定鉾は京都府乙訓郡大山崎町の離宮八幡宮を本所とする大山崎油座が祇園祭に奉納していた鉾です。定鉾の名称は祇園祭に必ず奉納されていた鉾だったことから定鉾と称したと言われています。大山崎油座は畿内を中心にエゴマ油を独占販売していました。
  • 比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)と祇園祭

    八坂神社は876年(貞観18年)に興福寺の僧・円如がお堂を建立して薬師如来を祀ったのが起源とも言われ、興福寺に属していました。974年(天延2年)に延暦寺の別院になったと言われ、祇園祭は延暦寺とその守護神・日吉大社から大きな影響を受けました。
  • 室町幕府管領・細川政元(ほそかわまさもと)と祇園祭

    室町幕府管領・細川政元は1500年(明応9年)の祇園祭再興に貢献したと言われています。細川政元が山名政豊と和睦すると応仁の乱が終息する兆しを見せ、明応の政変によって室町幕府の実権を掌握すると幕府内で祇園祭再興の兆しが現れます。
  • 日向大神宮

    日向大神宮の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

    日向大神宮の歴史を簡単にまとめています。日向大神宮は社伝によると第23代・顕宗天皇の時代(485年~487年)に顕宗天皇の勅願により、筑紫日向の高千穂の峰の神蹟から天照大神の神霊を移したのが起源と言われています。
  • 八瀬童子(やせどうじ)・駕輿丁(かよちょう)と葵祭

    八瀬童子は明治初期から葵祭に奉仕しています。八瀬童子は葵祭のハイライトである路頭の儀で行列の隊列を整えたり、行列を護衛したりしています。主に列方として行列を導き、行列全体の歩く速度や間隔を指揮する重要な役割を担っています。
  • 鹿王院

    鹿王院の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

    鹿王院の歴史を簡単にまとめています。鹿王院は1387年(元中4年・嘉慶元年)に宝幢寺内に開山塔として建立されたのが起源です。生前に造られた宝幢寺開山・春屋妙葩の寿塔を守る塔頭として建立されたと言われています。

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