石清水八幡宮湯立神事2025年2月2日(日程時間・・・)
石清水八幡宮湯立神事
石清水八幡宮湯立神事(日程・時間・・・)を紹介しています。湯立神事は例年2月に行われています。湯立神事では男山中腹に涌き出る霊泉・石清水を汲み上げ、大釜で沸かして神前に供えます。また神楽女が大釜で沸かした湯に笹の葉を入れて激しく振り撒き、厄除・無病息災・五穀豊穣を祈願します。笹の葉は自宅に持ち帰れると幸運に恵まれるとも言われています。(詳細下記参照)
【石清水八幡宮湯立神事2025 日程時間(要確認)】
石清水八幡宮湯立神事2025は2025年(令和7年)2月2日(日曜日)10:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・石清水八幡宮ホームページ
【石清水八幡宮湯立神事 アクセス・マップ】
場所・・・京都府八幡市八幡高坊30
最寄り駅・バス停・・・石清水八幡宮駅(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*祇園四条駅から石清水八幡宮は京阪電鉄本線
【石清水八幡宮湯立神事 歴史・簡単概要】
石清水八幡宮湯立神事(ゆだてしんじ)は春を呼ぶ節分の行事です。湯立神事では男山中腹に涌き出る霊泉・石清水を汲み上げ、大釜で沸かして神前に供えます。また湯立神事では神楽女が大釜で沸かした湯に笹の葉を入れて激しく振り撒き、厄除・無病息災・五穀豊穣を祈願します。
湯立神事では3つの大釜で霊泉・石清水を沸かし、神楽女が塩・米で祓い清め、御神酒を大釜に入れ、3つの大釜から汲み取った湯が神前に供えられます。その後笹の葉を大釜の中に入れて勢いよく振り、四方に湯を飛ばします。湯立神事は中央・左側・右側の順で行われます。ちなみに飛んだ湯を浴びると無病息災のご利益があるとも言われています。なお湯立神事では神事に使われた笹の葉が授与されます。笹の葉は自宅に持ち帰れると幸運に恵まれるとも言われています。
霊泉・石清水は男山五水(八幡五水)のひとつです。石清水は皇室・将軍家で祈祷を行った際、献上したとも言われています。
湯立神事は湯立神楽(ゆだてかぐら)・湯神楽(ゆかぐら)とも言われています。湯立神楽は清め祓いの意味を持つ湯立に神楽が結び付いたものと言われています。平安時代の貞観年間(859年~876年)には既に行われていたそうです。なお神楽は神社の祭礼などの神事の際、神に奉納する歌舞です。神楽は天照大神(あまてらすおおかみ)が天の岩戸に隠れた際、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舞ったのが起源とも言われています。なお神楽には宮中で行われる御神楽と神社など民間で行われる里神楽に大きく分けられます。
節分(せつぶん・せちぶん)は元々は季節が変わる節目で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を差していたが、江戸時代以降は立春の前日だけを指す場合が多くなりました。節分には邪気悪霊(鬼)が外から入ってくるのを防ぐ為、「鬼は外・福は内」と言いながら福豆を撒き、年の数だけ福豆を食べて厄除けをします。
●石清水八幡宮の歴史(創建から現在)を紹介しています。
石清水八幡宮歴史(行教・清和天皇・・・)
●石清水八幡宮の見どころ(本殿・楼門など)を紹介しています。
石清水八幡宮見どころ
【石清水八幡宮 歴史・簡単概要】
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は859年(貞観元年)に南都(奈良)大安寺(だいあんじ)の僧・行教(ぎょうきょう)が豊前(大分)・宇佐八幡宮(うさはちまんぐう・宇佐神宮)の祭神・八幡大神から「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」という神託を受け、男山の峯に神霊を奉安したのが起源と言われています。翌860年(貞観2年)に第52代・清和天皇が八幡造りの社殿(六宇の宝殿(ろくうのほうでん))を造営しました。石清水八幡宮の名称は男山に既にあった石清水山寺(摂社・石清水社)に由来しています。その後939年(天慶2年)の承平天慶の乱(平将門の乱・藤原純友の乱)の平定以来、国家鎮護の社として皇室に篤く崇敬され、第64代・円融天皇の行幸から天皇の行幸や上皇の御幸は240余度にもなりました。また清和天皇を祖とする源氏諸氏族の氏神としても崇敬されました。なお明治維新後の神仏分離により、神号を「八幡大菩薩」から「八幡大神」に改め、1871年(明治4年)に社号を「男山八幡宮」に改めたが、1918年(大正7年)には「石清水八幡宮」に改めました。
*参考・・・京都・石清水八幡宮(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【石清水八幡宮湯立神事 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
石清水八幡宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
京都2月のイベント・行事