京都血天井寺院(源光庵・宝泉院・養源院・・・)

京都血天井寺院
京都血天井寺院情報を紹介しています。京都には1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城の戦いの際、石田三成方に破れた徳川方の家臣数百名が伏見城で自刃し、その後伏見城の建物から寺院に床板などが移され、天井板とも言われている寺院が数ヵ所あります。
【京都血天井寺院 マップ・地図】
【京都血天井寺院 源光庵】
源光庵(げんこうあん)は1346年(貞和2年)に大徳寺2世・徹翁義亨(てっとうぎこう)の隠居所として創建され、復古堂と言われたのが起源です。徹翁義亨は1337年(延元2年・建武4年)に宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)の後席を継いで大徳寺に住し、その後大徳寺山内に徳禅寺を創建して隠居していました。1694年(元禄7年)に自ら復古道人と称した石川・大乗寺の僧・卍山道白(まんざんどうはく)が再興し、臨済宗から曹洞宗に改めました。
源光庵・京都血天井寺院
源光庵アクセス(地下鉄・市バス・・・)
【京都血天井寺院 正伝寺】
正伝寺(しょうでんじ)は1268年(文永5年)に兀庵普寧(ごったんふねい)の弟子・東巌慧安(とうがんえあん)が烏丸今出川に創建したが起源です。その後比叡山延暦寺によって破却され、1282年(弘安5年)に賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)の社家・森経久(もりつねひさ)の援助により、西賀茂の現在の場所に移りました。室町時代には天皇家や将軍家の帰依を受けたが、応仁の乱の兵火によって衰退し、関白・豊臣秀吉や江戸幕府初代将軍・徳川家康の援助によって復興しました。
正伝寺・京都血天井寺院
【京都血天井寺院 宝泉院】
宝泉院(ほうせんいん)は1012年(長和2年)に勝林院(しょうりんいん)の僧坊のひとつとして創建されました。ちなみに勝林院は835年(承和2年)に第3代天台座主である慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)が天台声明の根本道場として比叡山に創建し、1013年(長和2年)に天台宗の僧・寂源(じゃくげん)が現在の場所に移したと言われています。勝林院には江戸時代に宝泉院(法泉坊)以外にも実光坊(実光院)・理覚坊・普暁坊の3つの僧房があったが、現在は宝泉院・実光院しか残っていません。
宝泉院・京都血天井寺院
【京都血天井寺院 養源院】
養源院(ようげんいん)は1594年(文禄3年)に関白・豊臣秀吉の側室・淀殿(よどどの)が父・浅井長政(あざいながまさ)らの21回忌の供養の為に秀吉に願って、天台僧・成伯法印(じょうはくほういん)を開山として創建したのが起源です。養源院の名称は長政の院号・養源院天英宗清に由来します。その後1619年(元和5年)に落雷による火災によって焼失し、1621年(元和7年)淀殿の妹で、江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の正室・お江(崇源院)の願により、伏見城の中の御殿を移して再建され、徳川家の菩提所になりました。
養源院・京都血天井寺院
【京都血天井寺院 興聖寺】
興聖寺(こうしょうじ)は1233年(天福元年)に曹洞宗の宗祖・道元禅師(どうげんぜんじ)が曹洞宗の道場・興聖宝林禅寺を深草に創建したのが起源です。その後1236年(嘉禎2年)に伽藍が完成したが、比叡山延暦寺の弾圧を受け、1243年(寛元元年)に道元禅師が越前に下向してから荒廃し、住持4代で廃絶しました。その後1649年(慶安2年)に淀城主・永井尚政が父・直勝の菩提を弔う為、万安英種を招聘し、現在の場所に復興しました。
興聖寺・京都血天井寺院
【京都血天井寺院 天球院】
天球院(てんきゅういん)は1631年(寛永8年)に備前岡山藩初代藩主・池田光政(いけだみつまさ)の伯母・天球院が光政の支援を受け、永代追善に妙心寺140世・江山景巴(こうざんけいは)・無尽燈光禅師を開山として創建しました。天球院は池田恒興の娘で、鳥取若桜藩初代藩主・山崎家盛(やまざきいえもり)の正室でした。天球院は明治維新まで岡山・鳥取の池田家の菩掟所として外護を受けたそうです。
天球院・京都血天井寺院
【京都血天井寺院 栄春寺】
栄春寺(えいしゅんじ)・指心庵(ししんあん)は1568年(永禄11年)に曹洞宗の僧・傳養和尚が創建したとも言われています。その後1596年(慶長元年)の慶長の大地震で被災するが、翌1597年(慶長2年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康の家臣・酒井重勝(さかいしげかつ)が亡き妻の菩提を弔う為、伽藍を再建したと言われています。
栄春寺・京都血天井寺院
【京都血天井寺院 瑞雲院】
瑞雲院(ずいうんいん)・百石さんは1602年(慶長7年)に日蓮宗の僧・日求(にちぐ)が備前岡山藩主・小早川秀秋(こばやかわひであき)の菩提を弔う為に玉陽院を改め、江戸幕府初代将軍・徳川家康が祭祀料として寺領100石を与えたのが起源とも言われています。また関白・豊臣秀吉の姉・日秀尼(にっしゅうに)が秀秋の追善の為に安土城内の秀頼旧邸を移して建立し、100石を施入したのが起源とも言われています。
瑞雲院・京都血天井寺院